マジメにやってて、救われた | 巡礼者のブログ

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主治医の時間。ひさびさに、某所で生姜焼き定食にご飯三杯おかわり。直帰して、⚪️❌問題とか、キャベツとか、⚪️❌⚪️❌とか、調べていたら、大当たり。

というか、微妙な問題なので、ちゃんと扱える人が限られている、というか、いい仕事しておられる方がいる、というか。ずーっと調べていて、結局、その方による記事や動画しかないんだな。

ここまで、精緻で、公正な検証とルポやってると、⚪️❌利権系の勢力も、それに対抗する勢力も、中途半端な専門家も、何も言えない。というか、孤高の仕事振りというか。

でも、初心者の自分にとっては、最初からこういう記事に出会えるって、ヘンな葛藤持たずに済むし、こういう方の仕事というのが、本物だなー、と思って納得する。

自分も持病のこと、とか、団地の生活とかあるから、当事者でもある。そういう身として、立派な仕事に出会えると、自分の生活の見直しとか、展望とかの材料にもなるので、本当に有り難い。

ずーっと、その方の関係の記事、というか、その方のしかヒットしない。逆に、他の方による、別の拡がりの記事が出ない、というのも怖いものだが。そういう意味では、特定のジャンルで、特定のお一人の記事が出ない?というのは、先の事を考えると、問題と感じてしまったりはする。

今までは、キャベツの問題を調べて、暗澹たる気持ちにしかなれず、具合まで悪くなってしまっていた。

なぜ、そうなるか?というと、そこには必ず、「イデオロギー」という壁があって、これが、からださんの具合まで悪化させたりする。

実際、暫くは、キャベツの問題を調べない様に、と主治医から言い渡されていたので、そーだなー、と思っていたのだが、真面目に具合が悪くなって、あー、やっと、出会えるものに出会えた、と、意味がある記事が大量に出て来て、ホントにホッとしているのである。

キャベツと団地というものが、やはり関係が深いというのと、それからの歴史の流れ、そして、いつも違和感を持ちながら撮っていた、かなりの数の写真、それらが、あー、この「違和感」マトモな感覚だったんだー!と、胸を撫で下ろした。

そして、イデオロギーと政治が、どう実際に、それぞれの暮らしの場で、普通の人が感覚しているか、など、そういうのが聞けて、wikiとかとは、まるで違う。腑に落ちる、というか、自分の特殊な感覚ではない、と理解できた。

ドーナツ屋さんのお姉さんの話しを書くつもりだったが、きょうは、ホントに、やることやっておいて救われたー!という感じで、ドーナツ屋さんのお姉さんの事は、また、である。

キャベツの問題は、実は、ドーナツ屋さんのお姉さんの事とも繋がっていて、これからの日本の問題でもあるのである。

しかし、ホント、イデオロギーって、具合悪くする、って言うか、イデオロギーやってる人って、具合悪くなってる自分に気がつかない人?なのかもしれない。病気の実感がない、というか、自分の病気を問題にしていない、というか。単に病識がない、というのより、始末が悪いと思う。で、イデオロギーは、他人を巻き込むものだから、他人まで具合悪くさせる、って事で、やっぱり危険なんだろうなー、と。

マトモな仕事が、イデオロギーを無力化する、というか、それ、凄いなー、と思う。マトモっていう在り方に、まだ意味があったんだ、という事で、今までの具合悪さが晴れた。

と、あすは祭日だし、朝日杯で、順当に行けば、藤井七段と永瀬二冠のガチになるから、楽しみである。順当に行って欲しい。それからが楽しみだ。

で、明日が祭日である理由が、いろんなイデオロギー系の人が、街で活動すると思われる日なので、お籠りモードでいい。どっちのイデオロギーであろうが、不愉快である。

将棋を横目に、キャベツに関する、立派なお仕事を端末で拝見できる。まだ、きょうも粘るし、明日もやる。

が、これもある種のイデオロギー?というか、明日は、某花札が、銀座の和光の時計が、なんたらかんたらで、震災、とか、描かれているそうで、まあ、やってらんないのである。

確かに、毎日見ている、あるデータによれば、ここのところ、ちょっと注意、とは思っている。来たら来たで、意識はしても、あとは運。

そういう話はあるにはあるので、気をつけてお過ごし下さいませ。