物欲を感じ切り、その意味を知り、レスター・レヴェンソン的に解放する | 巡礼者のブログ

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爆睡して、図書館から借りた本を読んで、何もしない日。と、思っていたら、セドナメソッド的、というか、レスター・レヴェンソン的なやり方、で、解放するチャンスがやって来た。

今回は、物欲の問題である。物欲といってもいろいろあると思うが、腹の底から沸き上がってくるエネルギーに注目して、観察して、そして、そのエネルギーのど真ん中に入っていく、という作業。

で、物欲が、どれほどのものか、というと、かなり根本的なところである。ちょっと前に、底知れぬ?怒りの様なエネルギーに、同じ様に、観察し、そのエネルギーの中心に入っていく、という作業をやったら、脚フェチまで消えてしまった、という体験がある。

あの時は、もう、皮膚の外側というか、オーラ全面にそのエネルギーが拡がっている体感で、どうかなっちまうのかもしれないと思った。

それをレスター・レヴェンソンの様に、愛に変えるという作業はしないで、ただ、そのエネルギーの中心にいて、そのエネルギーを実感し切って、そのままでいる、というやり方だった。

あの時は、もうお薬さんなぞ効かないんではないか、眠れないのではないか?と思っていたが、幸いに、眠れて、翌日はスッキリ。で、街を歩いていると、脚フェチが消えているのに気がついた、という結果である。

今回は、その怒りの様なエネルギーではなく、最初から物欲であるというのが分かった。

だが、単に物欲、では、自分自身が何者であるか、特定するチャンスにはならない。そのエネルギーを観察して、実感し切って、その物欲とはなんであるのか?というのを特定できた。

この物欲の本質は、ビンボーが嫌だ、とか、その手ではなく、「他人と違う生活のスタイルを持ちたい」というものだった。別に高いものが欲しいとか、そういう意味ではなく、自分自身のライフスタイル、自分固有の生活の仕方がしたい、という意味だった。

具体的な物欲もあって、端末で調べていたのだが、オレは手に入れられないんじゃないか?とか、品物を見ていて思うのである。で、しばらくすると、あの、腹の底からのエネルギーがやって来た、という流れだったのである。

前回と同じ様な手順で、腹の底から来るエネルギーを観察しつつ、感じ切るという作業をしながら、そのエネルギーが何物なのか?を特定していく。その結果、「他の人とは違う生活のスタイルに対する“渇望”」が、この物欲として現れて来ているのだと特定できた。

特定する作業を続けながら、そのエネルギーに、もっと来い!welcome!と、そのエネルギーを増幅するだけ、増幅させて、そこで、手放す、let go!を繰り返したのである。

なかなかこのエネルギー、根深く、解放というより、消滅という感じで収束したが、どこが収束か分からなかった。自然に任せた、と言ってもいい。

結果として、物欲ページ?に興味がなくなり、また、図書館からの本を読み続けたのである。

今回の作業で、根っこの物欲?他の人とは違う生活スタイルを持ちたいという欲が完全に消えたかは分からないし、多分、また、別のところから、別の理由でやって来るとは思う。

それでも、その渇望が、とりあえずの段階ではあるが、消えて、また本を読む作業に入れた、というのは、一つの経験である。これはこれで良い。とりあえずは、スッキリした。

セドナメソッド的、というか、レスター・レヴェンソン的、とも、少しやり方は違うのであるが、今のところは、このやり方は合っているのだと思う。毎度実験段階、自分を実験台にする作業。これでいいと思う。

出来れば、毎日、腹の底からやって来るエネルギーを感じ取るチャンスが来ればいいと思う。感情の薄い系のオレでも、セドナメソッドは使えると、新版のセドナ本でも、原書でもなっているが、それはまだチャンスがない。

やって来るから、屏風の虎さんが、外に出た時に、そのエネルギーや感情に向き合える、というのが、今のところのオレのパターンである。

欲を言えば?〜って、それ解放しろよ、とも思うが、抵抗=resistanceの解放をやりたいのだが、これがなかなか感じが掴めない。オレの場合は、それが先だと思う。

しかし、とりあえず、きょうやれる、体験できることは、結果も出たし、スッキリして、本も読めるし、これはこれでいい。物欲の問題と、その本質と、自分のアイデンティティの特定=問題の特定とその解放が出来たので、これはこれで充分である。

虎さんには、もっと屏風から出て来て下さい、とお願いするばかりである。