一本調子のロシアのオペラ歌手さんの独唱会 | 巡礼者のブログ

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友人の代理で演奏会。お金さんないで、遠出⁇都下に出るのは殆ど遠征?最近、呑み会か演奏会、の日が続いて、施設にも行けない。

きょうの演奏会は、ロシアの男声の独唱会。正直なところ、どこがいいのか分からなかった。というか、ロシアの偉大な歌い手さんだと、いきなりガキの頃に、ギャウロフでオペラに目覚めた?体験があるから、ロシアの歌劇場のソリスト、という事で、期待はしていた。

が、何というか、ピアノとかピアニッシモがない。結構張り上げて歌うというか、某⚪️❌コーラスの団員になってしまうと、ピアノとピアニッシモが出なくなる、という病気になる様であるが、それと似た?印象。繊細さがない。

で、張り上げてる関係?で?都合で?なのか、言葉は聴き取れない。曲が表現されるのではなく、どの曲をやっても、その人の声になってしまうので、作品を聴いてる気がしないで、一人でシラけていた。

伴奏の人は息子さんらしいのだが、そのピアノの方が、まだ表現があるので、ピアノ伴奏を聴いていた、というか、その様な聴き方になってしまうのだ。

⚪️❌コーラスとおんなじ症状、というか、ずっと張り上げて、楽譜は知らないから何とも言えないのだが、ピアノとピアニッシモは皆無。歌劇場がどのくらいの空間なのかは知らないが、多分そこの劇場より、かなり小さいホール。

でも、その空間に適切な音量ではない。音量だったら、ステファン・グールドだっけ?あの人は、あの音量で、ずっと歌って、ってのを現場で何回も聴いていて、あれは凄かった。

でも、きょうの人はそういう感じではない。特に最近は、毎日、自衛隊東京音楽隊の三宅さんの歌をiPhoneで聴くので、表現の幅、というものを意識してしまう。三宅さんの表現の幅は素晴らしいので、ウッカリ、三宅さん基準になっていて、ちょっと今日のは違うのではないか?と思ってしまう。

そんな訳で、遠回りの遠出⁇だったのだが、やはり表現というのは難しい。ギャウロフとかは、ひょっとして、ロシアの男声の中では異端?なのかもしれない。ギャウロフは完全な表現を求めるタイプ?なんだと思う。だからカラヤンとも合うのだと思う。

とりあえず、作品を聴いてる感じではなく、何でも歌手さんの声の一本調子になってしまうので、その歌手さんの歌を聴くなら、それはそれでいいと思う。でも、作品を表現している様には聴こえないので、独唱会に疎い、というか、先入観がない?オレとしては、音楽を聴いた、という気がしない。

音量はかなりあるにしても、ピアノとか、ピアニッシモがないとなると、表現の幅はないし、もともと声の色を変えられる人ではないので、聴いてて、かなり疲れてしまうし、自然と伴奏の方を聴いて、歌から避難してしまうのだな。

伴奏さんも、この前のやはりロシアの人の凄い伴奏を聴いているので、そこまでの表現にはなっていない。

という訳で、かなり一本調子。運が悪いのは、自衛隊の三宅さんの表現の幅、音色の幅、キャラの幅というのを、毎日聴いているので、そこは、今日のソリストさんは運が悪かった、という事なのかもしれない。

今日は、たまたま運が悪かった、というだけの話かもしれない。ただ、会場の空間に適切な音量は、もう少し計算して欲しかった。多分なのだが、あの歌い方をしていると、ピアノもピアニッシモも出なくなる、というのは、⚪️❌コーラスに入ると、優秀な人でもそうなってしまう、というパターンと同じなのだと思う。

でも、⚪️❌コーラスはアマチュアだし、今日の独唱の人はプロなので、そこは違う訳だから、あの歌い方で食えている人、という事で、そこはレヴェルは違うと思う。

声帯は、柔らかく使えば長持ちするし、年齢がいっても歌えるが、若い頃からデカい声でやっていると、音楽的にも間違った方向に行ってしまう、という話なのかもしれない。