年度末を感じる一日 | 巡礼者のブログ

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爆睡。友人からの電話で目覚めるが、眠い。二度寝。二度寝で、二つの映像。前のサイコセラピストの先生オススメの治療院に行くと、右脚に長くて細い針を何本か打たれる。二週間後に来て下さいと言われたが、二週間後にそんなお金さんあるのか?と、思いながらも、治ります、と言われる。

二本目は、映像作品。スペースオペラ系。オレも別の姿で登場するが、ヒロインさんに惚れてしまう。そういうパターンは初めて。ちょっと凝りすぎていて、一般的な映像には向かないかもしれない。

ボチボチ起きると、もう二時過ぎである。自動的に、音大の演奏会は不可。シャワー浴びて、施設へ雨のなか歩く。

施設の様子が違うので、戸惑っていたら、年度末の掃除の日だった。完全に意識から外れていた。参加者さんたちは、ピザやお芋さんでお食事会。スタッフさんが、食って行けと仰るので、掃除してないのに、ご馳走になる。

大嶋信頼さんの本の続きを読む。で、スタッフさんと、二枚落ち定跡の稽古。

きょうが最後のスタッフさんに御挨拶する。

今年度もスタッフさんの異動があるが、オレは詳しい事はまだ知らない。御挨拶の時期である。

卒業や異動のシーズン。大きな人さらいの時期である。戻ってくるスタッフさんもあるかもしれない。

もうすぐ来年度。オレの来年度の課題はまだ不明だが、テレポーテーションだの、パラレルワールドだのの騒ぎになって、確実に新たなお役目が来る気配である。

結局、シャーマンとか、ワンダラーというお役目自体は変わらないだろうが、作業の課題は、変わるだろう。いずれにしても、地球再生とか、霊的救済とか、そういう作業にはなるだろう。

問題は、そういうオレには、グラウンディングが足りない事だ。これは治療上の課題でもある。

箱庭療法も、次回で五十回目になる。ずいぶんいろんなパターンの作品になったが、オレ自身ではなく、オレを取り巻く存在さんたちの意識と言葉を降ろして作業し、完成してから、存在さんたちに解説を受ける、という過程は変わっていない。

では、自分とは何なのか?それが、箱庭療法五十回目の作品になる可能性はある。