ジュリア・キャメロンはシンクロだな | 巡礼者のブログ

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ジュリア・キャメロンのThe Artist's Wayをタラタラ読み、施設でもタラタラ読み、序文から二章までを三回読み、本まで近所で激安で入手したので、付箋貼ったり、線引いたり、どうも本気モードである。 

何がそうさせるのか、というと、オレの空洞のことと、著者の話の感覚が合うのと、どこかで、コリン・ウィルソンの右脳の冒険、とか、そのあたりの感覚そのものなので、ウィルソンの本の様に付箋と書き込みが始まった。

ただ、ウィルソンのと違って、ジュリア・キャメロンのは、具体的なワークの話であって、本を読むのは、その下準備だ、という訳だ。

オレは、他にも、バーバラ・シェールの、「本当に好きなことをして暮らしたい!」とか、セドナメソッドとか、いい材料を充分に持っているのだが、いずれの方法でも、オレの場合、共通した問題がある。

それは、極めて感情が薄い、という問題である。リアルな感情が充分でなければ、バーバラ・シェールの傑作も、セドナメソッドも、充分に使えない。その補助器具が、オレの場合は、筋反射テストとか、キネシオロジーなのだが、全く自己流であるのと、当然のことながら、改めて、人様のキネシオロジーの本とか読むと、オレの使いこなしとはかなり違うことが分かる。

かと言って、キネシオロジーのやり方に問題があるとも思っていない=意思疎通ができてる、から、正式なのをやり直すつもりもない。

しかし、やはり、如何に、病気が原因とか、歴史が原因であっても、感情が薄いのは、感情という実感を導き手とする方法には、問題がある。薄いとかより、その実感の内容である。

ところが、どうも、このジュリア・キャメロンのやり方である、「モーニング・ページ」からすると、これは、リアルに感情を受け止める方法であり、チャンスであると思えた。シビアそうであるが。

そして、「アーティスト・デート」は、オレが普段、からださんや、存在さんとやっていることである。

だから、あまり新鮮ではないのかもしれないが、モーニング・ページは、思いつかなかった。

因みに、きのうオレは、モーニングノートと書いてしまった様だが、モーニング・ページであった。申し訳ない。

あとはやってみないと分からないが、モーニングページを知って、あり得ない早さで、図書館が移送してくれて、で、その時、図書館で、写真展のチラシが良かったので、貰ってきたが、今日、動画で調べていて、偶然知ったのだが、その写真展の写真家も、ジュリア・キャメロン、という名の人であった。で、近所で、最安値で救出して、何か普通の流れではないのである。シンクロと言えばシンクロであるが。内容まで、コリン・ウィルソンを思わせる訳で、これは普通の出会い方ではないな、なのである。

因みに、邦題は、ずっとやりたかったことを、やりなさい。 というナンセンスな題名。サンマーク出版。ダサい。

なので、The Artist's Wayが原題であるが、なさい、とか、ガキ向けの内容ではなく、せいぜい苦しんでるティーンエイジャー以上が読む本。そうでないと、また、読めない。読者を学童扱いする、って、版元はセンスない。学童扱いする時代は、終わってるよ。まあ、中古で激安だから、知らないけど。

さて、もう一丁、真面目に読んで、準備しよう、と。