ビジネス化、というより、洗脳化した、スピリチュアル | 巡礼者のブログ

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 You Tubeというのは、自分はそんなに観る方ではないが、スピリチュアル系の技法などを見るのに手ごろなので、使っている。だが、どうも、自分にはよく分からない。

 以前、この日記でも、ビジネスとスピリチュアル、ということを幾つか書いてみたことがあるのだが、You Tubeで観るスピリチュアルは、本当にビジネスだ。あるいは、ビジネスというものがスピリチュアルなものなのかもしれない。

 そんな訳で、本当に意識が進化する、というか、ありのままの自分に気づく、ということに繋がるものもあれば、そうでないものもある様だ。

 世間的にみれば、充分にスピリチュアル系のオレなのかもしれないが、実はオレは、あまりスピリチュアル、という世界が好きではない。いま、スピリチュアル、といわれている、あるいはそれを自称するものは、ほとんどがビジネスだと思う。

 何しろ、見えない世界のことを語る人たちが山の様にいる訳だから、「自分は見えないから困っている」という人は、何が本物で、何が偽者か、あるいは、本物があったとしても、それがどの程度の水準のものなのか、というのを区別するのは難しいと思う。

 いろんな世界と話せてしまう様になったオレとしては、画面を見ながら、「これ、どうですか?」とか聴いてしまう。あるいは、そちらの世界から、「これはダメだね」とか、「これはマトモだよ」とか、「これは凄くいい線行ってる」とかコメントをもらう訳である。

 たとえ、ブレサリアンにしたって、食わない、飲まない、だけでは生活できないだろう。だから、別に職を持っているなり、あるいは、ブレサリアンとして、後進の指導のために、お金を稼ぐ、ということはあるだろう。お金を稼ぐ、というのが失礼だとしたら、お布施を頂戴する、ということになるのだろうが。

 結局、スピリチュアルの人は、食わなくともよくなったとしても、放浪でもしない限り、生活はできない。しかも、時代は変わったので、You Tubeを利用しない手はない。才能がある人だったら、別にレッスンとかレトリートの類に出席しなくとも、You Tubeだけで体得できてしまう、という人はかなりいると思う。

 とはいえ、大多数の人が、それでは足りない、と勝手に思ってしまう、あるいは、オレはこんな風になったけど、こんなんでいいのか、と疑問になると思う。そんな訳で、その人たちの一部は、お金を、しかも、かなり高いお金を出して、その門をくぐってしまう、ということはある。

 オレがいつも疑問に思うのは、「何でスピリチュアル系のセッションとか、講習会の類はこんなに値段が高いのか」ということである。まだまだ、日本では、スピリチュアル系にお金を出す人が少ないからなのか、あるいは、術者や導師の人が、教えるには物凄くエネルギーが要って、それくらいの対価になってしまうのか、そのあたりがオレには分からない。知らないだけかもしれないが。

 企画から受付から、会場の手配から、全て自分でやる、という人は、確かに大変だと思うし、安定してクライアントさんが来る、という業種ではないと思うので、確かに単価は高くなるのかもしれないが、オレみたいなビンボー人にはとても手がでない。オレが観てびっくりしたのは、一つの講座で、数千万のお金を取っている人もいる。

 確かに、米国の大統領選挙になると、アマゾンのシャーマンやら何やらに、もう莫大な費用を払って、選挙に挑んでいる、ということもあるらしいので、権力の背後には、お金とスピリチュアルが絡んでいる、ということは言えると思う。

 ひょっとすると、今の日本でも、選挙のときに、加持祈祷をやっている候補やら政党もあるのかもしれないが、いくらシャーマンでも、そういうことを権力にやっていいことなのかどうか。

 スピリチュアルは、ある種の孤高の道、だったり、全ての人との喜び、とかあるかもしれないが、米国の選挙が、それでは、スピリチュアルに対するイメージは、がたっと崩れる、というか、なんだ、所詮はカネなのか、と思ったりする。

 オレが時々お目にかかる真言宗のお坊さんは、「お布施は僧侶に対する尊敬料」とはっきり仰っていた。相場とかそういう問題ではないのだ。

 きょう、あるスピリチュアルの技法の映像を見ていて、「これは偽者だ」とはっきり神から言われた。この前の浅川さんの最後の講演会でも、「これから出てくる新しい本の内容は、九割まで本当のことを言って、最後の一割でウソをつくから、これから、その手のものは、読まない方がいい」ときっぱりと仰った。

 オレも、この手の映像を見ていると、確かにそうなんだな、と感じる。しかも、神のコメントつきだから、スピリチュアル、って、ビジネスというより、犯罪化しているという流れなのだと思う。

 だから、実のところ、必要なのは、個人個人の「思想」なんではないか、と思う。食うために、ブラック企業に入っている、とか、いつの間にかブラック化していた、などということが当たり前の今日、必要なのは、思想なんではないか、としみじみと思うのである。

 時間にて、これにて失礼。