これはダメだな。シータヒーリング | 巡礼者のブログ

巡礼者のブログ

ブログの説明を入力します。

 何があったか知らないが、シータヒーリングに於いては、日本では権威の方が読者登録を申請された。

 自分としては、以前も、シータヒーリングを使って、自分を実験台にした報告も書いて来たし、シータヒーリングという世界に関して、アメブロから読み取れる問題についても指摘してきた。

 それで、そのシータヒーリングの日本では権威の方に、シータヒーリングは、カウンセリングという発想がない、責任感がない、これは問題だ、ということをお伝えしたのだが、どうも当事者意識がないらしい。こんな返事が来た。以下である。


 ご丁寧なメールありがとうございます。私は個人的にシータヒーリングをいい形で医療に応用したいと考えております串田 剛


 というものであった。 いい形って、具体的にはどういうことだろうか。個人的には、ほとんど、このいい形というのは、原発とうまくつきあっていく、という発言をする人の感覚に通じるものだと思う。ごまかしだ。

 シータヒーリングについては、「シータ難民」という言葉がある通り、シータヒーリングをするための必要な技術、特に筋反射テストなどの技術さえ身につけられぬまま、講義だけ受けて、自分は何もできない、という人たちがいる。

 だが、自分で何もできない、という自覚を持っている人は、まだ良心的だと思う。もし、資格だけ、お金を払い、出席だけできれば、資格を取れてしまう、というこの講座が、世間で通用してしまったらどうなるか。

 つまり、資格とは名ばかりで、実際にセッションする能力のない人に、自分をゆだねてしまっていいものなのだろうか。

 シータ難民には、筋反射テスト、Oリングテストすらできない人たちがいるのだ。ならば、その人たちが、きちんとその技術を身につけるまで、面倒を見るのが、筋というものではあるまいか。

 自分が知る限りは、シータヒーリングのシステムには、こういうフォローはない。だから、シータ難民というものが生まれるのだ。お金を取る側としても、これは、無責任というものではないか。

 今回は自分が当事者となってしまった訳であるが、串田剛氏は、多分、医療におけるシータヒーリングの責任と、それ以外の素人の場合とを、全く分けて考えているのだろう。それ故、上記の様な曖昧とも、無責任とも考えられるメッセージが来たのではあるまいか。

 串田剛氏については、シータヒーリングの日本語の手引き書の著者でもある訳であるから、メールから氏の在り方を推察する以外にない。あるいは、そうした責任感など思いもよらず、来たメールなのかもしれない。

 とはいえ、串田剛氏の著書は、Amazonにも書かれていることだが、医療の現場の人からの推薦文が多い、とされている。実際、確かにそうである。

 としたら、この医療の現場の人たちというのは、どれほどの責任感で、串田剛氏の著作に対してコメントをしているのかも疑問になる。勿論、医療の当事者としての、在り方、能力についても疑問となるであろう。

 串田剛氏の医療のもとで助かっている人はいるのかもしれない。だが、著作を残しながら、氏の今回のアメブロでの対応は、いい加減としか言えない。これは、もし、シータヒーリングが価値を持っていたとしても、それをおとしめる発言ではあるまいか。

 個人的には、そうした意味とも取れる発言を撤回するためには、もう一冊、きちんとクライアントに対して責任を取れる在り方・方法でのシータヒーリングについての本を出版する必要があるのではないかと思われる。

 シータヒーリングは、自分を実験台にした限りでは、使える可能性がある方法と思っていたが、どうも、問題のあるセッションの内容が、アメブロで散見されるので、封印してしまった。何とも残念なことである。

 医療は、プロのものであり、シータヒーリングは、医療の専門家の手によるものである、ということであれば、別の方向を考える必要もあるのだと思うが、自ら、全く素人に向けての著作を出している、ということになると、無責任ではないかと思うのである。

 こうした方法を持ち上げる、ということは、結局のところ、西欧医学の傲慢でしかないのかもしれない。