セドナメソッドというのは便利なので、いろいろな解放というか、手放すというか、その過程に使っている。だが、基本は、感情のみに注目し、それを手放す、という方法である。
きょうは基本に返って、和訳も少し読みながら、進めていった。
その時、自分が何を欲しているか、理解できた。その感情は、自分がもっと偉大なものでありたいのに、というものであった。
このとき、それ以上の分析はせず、とりあえず、「もっと偉大でありたいのに、という感情を認めますか」と自分にきく。そして、「うん」と答える。
「もっと偉大でありたいのに、という感情を手放せますか」と自分に聴く。自分は、うん、と答える。
そして、手放しますか、と聴いて、自分で、うん、と答える。そして、最後に、「いつ手放しますか」と自分にきく。そして「今」と答える。
これだけである。 きょうはちょっと反応が面白かったので書いてみる。
上の作業をワンセットしただけだが、数十秒後に、あくびが始まる。本を読みながらだが。
からださんに「眠い?」と聴く。「眠たい」とからださんがいう。「じゃあ、本もあとにしようか」というと、「寝る」という。まだ八時だが。
寝る体勢に入ると、あくびと涙が続く。かなり深いあくびで、フェルデンクライス・メソッドが最高に上手く行っているときのあくびに近い。これが続く。
そうしたら、からださんが、「もうこれでいい」という。これ以上寝る必要は今はないらしい。からださんは、「このことを書け」というので、今、書いている。
つまり、これで、作業は完了しているのである。別にあくびを出すための作業ではないが、からださんとこころさんは、あくびの連続で、表現したのである。これで、もっと偉大なものでありたいのに、という、今の感情が解放された訳である。
そんなに不思議なものではないが、いま、ここの感情に着目して、それを手放す、Let goする、解放する、だけである。
必ずしも毎回うまくいく訳ではないが、解放する感情が何であるかを上手く見極めることができれば、楽に解放できる。自分のことを理解、知っていれば、過程はすすむ。
こういう方法を知ると、方法も重要だが、自分自身のことを知る、ということが、それ以上に大切だ、ということを理解する。
いま、何が食べたいか、とか、何もいらないか、とか、そういうことから始まって、自分の感情も見極める作業があるのだと思う。
ホ・オポノポノでも似たことがあるが、セドナメソッドの場合、自分の感情を手放す、というのは、自分を知っていく過程でもあると思う。
人様の日記などを拝見すると、いろいろな感情についての記述が出てくる。持っていない感情を解放することはできないが、自分のなかで、引っかかっていることは、問題として、感情や感覚を通じて認識できる。つまり問題があれば、解放できるのだ。
だから、問題があるのは大切なことだと思う。ヒュー・レン博士も、そういう意味のことを仰っていたと思う。
初めて、この方法についてご覧になる方のために、基本だけ書しておく。本当に、この基本だけで、充分である。
「いま、なにを感じているか?」と自分に聞く。
→「その感情を認めることはできますか?」と自分に聞く。そして、はい、か、いいえ、で答える。
→「その感情を手放しますか?」と自分に聞く。そして、はい、か、いいえ、で答える。
→「手放しますか?」と自分に聞く。そして、はい、か、いいえ、で答える。
→「いつ、手放しますか?」と自分に聞く。そして、「いま」と答える。
これがワンセットである。ワンセット行い、うまくいくこともあるが、何度も同じことを繰り返す必要があることもある。
あるいは、思いも寄らぬ形で、結果が出ることもある。
ちょっと難しいかもしれないが、一回、自分のその時の感情を受け止める、welcomeする、迎い入れる、という感じが分かるといい。まずいのは、自分の感情を否認してしまうこと。だからといって、さきほどの過程で、「いいえ」を連発しても、問題はない。