とんと耳にしなくなりましたが
水茎の跡も麗しい、という表現が
とても好きです。
声に出して読み上げると
音の流れ方も綺麗で、
その言葉が表す対象と意味、音とが
ここまで一致していることは
珍しいのではないかと思います。

さらさらと筆で書いた文字か
万年筆の文字に対して用いられるのが
しっくりくる気がするのは
「水茎」という表現に
墨やインクのたっぷりとした
水分を感じる瑞々しさを
感じるせいかもしれません。

美しい筆跡を目にすること、
思うように上手に書けないとしても
上質な紙に書き心地の良いペンを
滑らせるという行為は
独特の心地よさを提供する、
感性や触覚を磨くのに
大いに役立つ経験ではないでしょうか。


作家、演出家の久世光彦が
『向田邦子との二十年』というエッセイに
万年筆の、それもようやく
手に馴染んできた頃合いのものを
何本も向田さんに奪われた、という
エピソードを書いています。

使い込むことで良さが増す
万年筆という道具と、その良さを味わう
久世さんと向田さんの触覚の敏感さ、
そして奪い奪われるという
茶目っ気の感じられる絶妙な距離感とが
深い情緒と洒脱な空気を生み出していて
私にとってはそのエッセイの中でも
特に印象強い逸話でした。


書かなくなった、ということは
知らず知らずその心地よさを
得る機会、感覚を磨く機会が
減っているということ。
そう考えたら惜しいような気がして
仕事中の走り書きのメモでも
ほんの少し気持ちを込めて
丁寧に書いてみると案外小気味よく、
侮れないものだと感心しました。

あまり目にしなくなったからこそ、
見知った同僚や知り合いが
何気なく差し出した手書きの文字が
美しかった時の衝撃は
昔よりも遥かに強まっていると
言えるかもしれません。