6年前、支援学校ではなく地域の小学校の支援学級を選択したのは、より息子が成長することを期待したからだったと思う。

Lovaasの「自閉症児の教育マニュアル」には、"自閉症の子どもは、他の自閉症の子どもと一緒にされるよりも、通常に発達している子どもたちの中に統合される方が、より適切な行動をする"と書かれている。ならば、少し無理をしてでもインクルーシブな環境が息子の成長にとって望ましいのではないか。そう思ったのだ。

ところが、卒業式で息子を囲む子どもたちや先生方の様子を見て、インクルーシブ教育の別の意味に気付かされた。
それは、少年時代の記憶を残すということ。


五十間近の私にも、少年時代の記憶は鮮明に残っている。

少年野球に夢中になっていた。練習が終わりグラウンドに礼をするや否や、チームメイトと競って走り、胃袋から溢れるように飲んだ水道水の味。竹を組んで作った秘密基地は、ある日綺麗さっぱり片付けられ、そこにあったはずの茣蓙や干し柿といっしょに、作り上げた物語も吹っ飛んでいった。誰かの冗談で教室に響く笑い声。飛ぶように軽いからだ。砂を蹴る音。風を切るバトン。若かった父と母。兄の背中を追いかけた夕暮れの団地。
少年時代の記憶は色あせず。心の容積の多くを満たしている。

 

息子の4月からの進学先は特別支援学校を選択した。

思い通りにならない時に発する息子の叫び声を受け入れてほしいと地域の中学校にお願いすることができなかった。子どもたちは少しずつ競争に巻き込まれてゆく。そこに、息子が混ざり愛されるイメージができなかった。

毎朝、大勢の障害を持つ子どもたちが大型バスに乗って登校する。息子は入学から2カ月経った今も、小学校の卒業アルバムを抱きしめてバスに乗り込む。優しくしてくれた普通の子どもたちと普通のつもりで過ごした日々は、息子の心にちゃんと少年時代の記憶を残した。