LB-315 『座右の諭吉』 | ライブラリーブログへようこそ!

LB-315 『座右の諭吉』

斎藤孝著 (光文社新書)

 福沢がその時代には珍しく、「精神がカラリと晴れた」合理的な考えに徹した人物だったからだ。彼はどんな閉塞状況にあっても、あるいはどんな難しい事態に陥っても、まったくへこたれるところがなかった。パニックにならずに対象し続ける。無駄なことには一切悩まない。自分のやりたいことがうまく進むように具体的な手だけを打っていく男だった。青年期の彼がナーバスな感傷や、自分探しのかわりに何をしていたかといえば、カラリと晴れたあの精神のままに、ただ勉強をしていたのである。自分の精神を痛めつけ、ぐちゃぐちゃと悩みをかき回さなくても、読書や勉強で経験知が増えれば、思考は十分複雑になる。
 何が福沢の「自分は自分だ」というアイデンティティを支えていたのか。ずばり「学び続けている自分への自負」である。多くを学び続けることで、他に寄りかからない個としての人格を保つ。それが本当の独立なのだというゆるぎない自信が実に福沢らしい。
 福沢が西洋の学問をひたすら勉強したのは、他国に寄りかからないためだ。蘭学のような実学、今でいうなら最先端の科学技術を知らなければ、国を売り渡してしまうことになりかねない。西洋を模倣し、追いつき追い越すことが実は日本独立の道だと考えていた。物事は分かってみると造作のないものだ。



学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)/福澤 諭吉
Amazon.co.jp