池袋ウエストゲートパーク(I.W.G.P)=池袋西口公園に立つ
女性の彫刻「平和の像」。
左手で掲げられた【平和の象徴】の上には
リアルなハトがとまっていました。
石原都知事のカラス嫌いは有名で、
2000年の「カラス緊急捕獲モデル事業」なる
対策プロジェクトで
巣や卵・雛の除去に乗り出しました。
実施から10年が過ぎ、
カラスの生息数は約半数に減少し
増加傾向には歯止めがかかったようです。
しかしそのおかげで増えたのは
天敵がいなくなった“公園のハト”。
竹島問題の発言など
“タカ派”で鳴らす石原さんですが
ある意味“ハト派”だったのか?
とも思いましたが、
「ハト対策」の方も怠りなく進めているようです。
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初代ウルトラマンの“科学特捜隊”・
ウルトラセブンの“ウルトラ警備隊”・
帰ってきたウルトラマンの“MAT”みたいに、
地球を護る組織が出てくるのが
「ウルトラマンシリーズ」の定番。
でも“隊”というにはとても小規模で、
配備されているのは5~6人。
いくら少数精鋭主義だとはいえ、
他の天体から来る侵入者に対抗するには
人数を絞り込み過ぎでは?
それとも現場までの足が確保できないの!?
科学特捜隊専用車の定員は5名、
セブンで人気の車“ポインター”も定員は6名だし・・・。
江戸川区でやっと最適な乗り物を発見しました。
よかった! コレなら30人は運べそう。
現在「なぎさ公園」と「フラワーガーデン」を結ぶ
“パノラマシャトル・未来くん”として活躍中です!
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東京で一番有名なY字路、
109で二手に分かれる「道玄坂下の交差点」。
ハッピ姿の若者たちに担がれ進むのは
“金王八幡宮”のお神輿です。
※先週末の東京は秋祭り一色(今週末も続く様ですが・・・)。「金王八幡宮」についてはこちらをご覧ください→●
しかし朝から晩まで沢山の人が溢れ、
毎日がお祭りのような渋谷にあっては
「なんか~、新しいイベントやってるみたい~」くらいの注目度。
盛り上がるのはハッピの集団だけで、
たまたま居合わせた人たちの殆どは
横目でチラッと見るだけで通り過ぎていました。
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よかった~!
今日までのキャンペーンだと思っていたら、
どうやら来週までやってるみたい。
でもよく読んだら
60歳以上の方限定か~。
またすぐに
“勤老感謝の日キャンペーン”があるから
その時にしよ~と!
※また、つまらぬモノを斬ってしまった(T▽T;) (石川五ェ門風に!)
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国会の前庭にある【憲政記念館】の
池の真ん中に立つ「尾崎行雄」の像。
お顔を拝見すると気の良い“好々爺”にも見えますが、
“憲政の神様”・“議会政治の父”と呼ばれた
大物中の大物政治家。
このお方、3つの記録を持っていらっしゃいます。
一つ目は「議員(衆議院議員)勤続年数最多の62年」
二つ目は「議員当選回数最多の25回」
三つ目は「最高齢議員記録、94歳」
94歳で議員を辞めたのも、
健康上の理由とかではなく落選したため。
※銅像のお姿は92歳の時のもの。ビックリするほどかくしゃくとしています。
“老害”なんて寂しい言葉がありますが、
ここまで行くと凄い!
東京市長在任中(衆議院議員と兼任)に
ワシントン・ポトマック川に植樹する「桜」を贈り、
お礼にアメリカから「ハナミズキ」をもらったお話は有名です。
※「どうか 来てほしい~♪ 水際まで 来てほしい~♪」
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ご主人様が亡くなっても
「渋谷」駅へのお出迎えに
毎日通った“忠犬ハチ公”。
体が大きく性格がおとなしかったため、
その事情が知られるまでは
首輪を取られたり
水をかけられたり
顔に落書きをされたりと
ひどいイジメにあっていたようです。
しかし新聞で報じられ一躍有名になると、
餌をあげたり無料で診察を申し出る人が出たりと
手のひら返しの大ブレイク。
※有名になると急にチヤホヤする、人のイヤらしさは昔も同じ?
1934年(昭和9年)には「ハチ公」も出席して
銅像の除幕式が行われました。
しかしその銅像は終戦日(1945年.昭和20年・8/15)の前日に
金属製品として供出され潰されてしまいます。
そして1948年(昭和23年)に再建されたのが
現在の「2代目ハチ公」の像です。
※写真は初代のレプリカ。微妙に左耳の垂れ方が2代目とは違うみたい。「渋谷区郷土博物館」でご確認ください。
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大手町「気象庁」前のお堀端に
皇居を見つめて立つ“和気清麻呂(わけのきよまろ)”の銅像。
大きくて何とも立派な目立つ像ですが、
どんな人物なのか全く知りませんでした。
平安遷都に尽力したそうなので1,200年以上前の人、
この風貌は100%イメージであることは間違いないかと・・・。
楠木正成(くすのきまさしげ:皇居外苑に銅像あり)・
名和長年(なわながとし:この人も知らない)とともに
忠臣中の忠臣として
戦前教育では祀り上げられていた人のようです。
※戦前の10円札にも載っていたみたい。
忠犬中の忠犬は
“ハチ公”だと
今でもみんなが知っているのに・・・。
でもこれからも胸を張って、
ずっとここに立ち続けるのでしょうネ~。
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ここ新宿「熊野神社」の別名【十二社】が、
この地域の名前の由来。
江戸時代に「玉川上水」から「神田川(神田上水)」へ
水量を補うために“堀”が引かれ、
中間地点の「熊野神社」辺りに“大滝”ができたことから
景勝地として広く知られるようになった【十二社】。
ここにあった二つの“湧水池”では
ボート遊びや釣り・屋形船での花火などが楽しめ、
茶屋や料亭などが数多く軒を並べ
大変賑わったそうです。
明治になって“淀橋浄水場”ができて“滝”は消え、
昭和43年には“池”も跡形もなく埋められ消滅。
いまはただ華やかな景勝地であることを記した碑が、
神社入り口にさみしく立っているだけです。
境内では最高の天気の下、
結婚の記念写真を撮影していました。
お二人の盛り上がりは永遠でありますように・・・。
※「十二社 熊野神社」は9/15・16、お祭りで盛り上がります。
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1853年のペリー来航にびびった幕府は、
砲台を置く要塞:台場を
品川沖に7つ並べて急遽建造します。
※陸上の「御殿山下台場」も入れれば、台場は全部で8つ。第4と第7は「日米和親条約」締結のため、建造途中で中止に・・・(^_^;)
幸運なことに砲台は一度も火を噴くことなく
日本は開国します。
しかし当時の日本の大砲は
黒船のモノよりもはるかに射程距離が短く、
この「台場建造計画自体」が?だったようですが・・・。
現在残っているのは
レインボーブリッジの斜め下に見える「第六台場」と、
フジテレビのある“お台場”と陸続きとなっている
ここ「第三台場(台場公園)」だけです。
※残念ながらこの砲台は幕末のものではありません。どうせ“レプリカ”なら上に大砲を乗せて欲しかった~! スイッチで「ドカ~ン」みたいな(TDS参照)(^_^)v
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