所  謂、  東  京  散  歩。 -22ページ目

所  謂、  東  京  散  歩。



世 間 に 遍 く 知 れ 渡 っ た 名 所 や、

少 し 胡 散 臭 い 好 事 家 向 き の 数 多 の 珍 ス ポ ッ ト。

倦 む こ と の な い 東 京 散 歩 の 備 忘 録 で す。

500


【百度石】をご紹介するのは2回目です!
 
 こちらのお寺は100×5で
【五百度参り】をしなくちゃいけないの?
 
 しかしながら日本語の【百】は
「百貨店」「百科事典」「百獣の王」「百人力」「百面相」みたいに
 一瞬では数えられない
 たくさんの数を意味する場合も・・・。
 だから「お百度参り」といっても
 生真面目にカウントした
 ジャスト100回のお参りじゃなくても、
 自分が納得する回数なら
 充分御利益はあるようです。
 
 実はここには少し離れて
 もう一本【百度石】が立っていまして・・・。
 融通が利かない生真面目な人には辛すぎる、
【六百度参り】のお寺・東上野「本覚寺」でした。

 

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SAKURA


 “暑さ寒さも【彼岸】まで”という通り
 東京は驚くほど“春らしく”なってきました。
【彼岸】とは“春分の日”と“秋分の日”の
 前後各3日を合わせた各7日間(一年で計14日間)のことで、
 中日にはお墓参りをして“ご先祖様”を供養する日として定着しています。

【春の彼岸】のこの時期に見頃を迎えるのが「エドヒガンザクラ」。
 東日本最大級として知られる
 高さ約3m・重さ約15tの「芝・増上寺の大鐘」の前で、
 春の訪れを宣言するように満開となっていました。
 ※「西国の果てまで響く、芝の鐘」と川柳にも詠まれた大鐘。今でも朝夕に響くというその音色を、一度聞いてみたいものです( ̄▽+ ̄*)
 
 この「エドヒガンザクラ」を品種改良(オオシマザクラとの交配)して生まれたのが、
 早くも東京で“開花宣言”が出た【桜】の代表種「ソメイヨシノ」。
 “ご先祖様”なのに後に咲く「ソメイヨシノ」の前座のように
 観客の“お花見気分”を一気に盛り上げてくれていました。
 ※今週末には「ソメイヨシノ」の下で、恒例のお花見ができるかな~?(^-^)/
 

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toden


 確かこれは「千と千尋の神隠し」(宮崎駿作品)の中で、
 “千”が“カオナシ”たちと一緒に
 “湯婆婆”の双子の姉“銭婆”の家に向かう電車の中。
 乗り合わせた他の客たちは皆
 シルエットだけの半透明で、
 まるで電車は死んだ人の魂を
 あの世へと運んでいるような・・・。
 
 でもここは「ジブリ美術館」ではありません。
 
 そっくりの風景を見つけたのは
「新宿歴史博物館」の常設展示室の一角、
 昭和初期の路面電車の原寸大レプリカの車内
 当時の服装や持ち物を強調したくて
 こんな作りにしたのでしょうが、
 なんとも摩訶不思議なできばえで・・・。


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yoshida


 昭和24年(1949)に「𠮷田」さんは、 
 名字を「吉田」に改める決断をします。
 
 活字で印刷されるモノだけではなく
 筆で書くサインまでも、
 今まで使っていた【𠮷(通称:つちよし)】から【吉】に変えたのです。
 これは時の内閣総理大臣「𠮷田茂」本人が決めた
 “当用漢字(1850字)以外は認めない”という
 新しい決まりを自らが守るため。
 ※北の丸公園・科学技術館の近くに立つ「吉田茂」の像は“生誕100年記念”で立てられたものなので、完全に「吉田」です(^_^)v
 
 しかし今は“常用漢字”でも“人名漢字”でも無い【𠮷】の漢字が
 変換できてしまう不思議な時代。
 キラキラネームと同じように、
 名前の漢字にもアイデンティティを
 求めたい気持ちは分かりますが、
「吉田茂」の潔さも見習いたい気も・・・。
 ※牛丼の「𠮷野家」のホームページを見ると【𠮷】と【吉】が混在していて、とても変・・・(^▽^;)
 

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tokyo


 JR「上野」駅・中央改札口の上
 昭和26年(1951)完成した壁画でタイトルは「自由」、
 作者は洋画家「猪熊弦一郎」。
 どことなくマティスの画風に似ているのは
 フランスに移り指導を受けた影響でしょうか?
 でも彼にはこの壁画以上に有名な作品がありまして・・・。
 
 猪熊に破格の報酬でデザインを発注し
 できた作品を取りに行った「三越」宣伝部の社員は、
 抽象的に切り抜かれた赤い色紙が
 白い紙にテープで仮止めされてあるのに驚いたそうです。
 しかしそれで商品を包んでみると
 パッと明るく花が咲いたようになるのを見て
「さすが猪熊画伯!」と感心したとか。
 受け取った社員の手により
「Mitsukoshi」の手書きの文字が加えられ完成したのが
 “百貨店の包装紙”を代表するお馴染みの「三越の包装紙」、
 作品名は「華ひらく」。
 
 
 この時堂々と巨匠とコラボレーションしたが
 当時「三越」宣伝部社員で今や誰もがその名を知る
「アンパンマン」の産みの親・漫画家「やなせたかし」氏。
 “包むだけで価値が上がる魔法の紙”ができたのは、
 そんな二人の巨匠の共同作業からだったのです。
 

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shiro


「皇居東御苑」は旧江戸城の
【本丸・二の丸・三の丸】を庭園として整備し、
 昭和43年(1968)から一般に公開された場所。
【大手門】から入り「科学技術館」や「武道館」が建つ
「北の丸公園」方向に抜けることができる
【江戸城】満喫の“散歩コース”があります。

 道程で見所の一つがこの「天守台」。
 江戸城の「天守閣」は4代将軍・家綱の時代、
 大火事(明暦の大火・振り袖火事・1657年)で全焼します。
 この「天守台」は焼失の翌年
 “花崗岩造り”で再建されましたが、
 町の復興などを優先したこともあり
「天守閣」がこの上に建つことはありませんでした。
 ※だからテレビドラマ「暴れん坊将軍・徳川吉宗」のオープニングに出ている立派な「天守閣」は、実際には無かったのです(^_^;)

 高さ18mの「天守台」に上り想像力を働かせ、
「大奥」などの建物が広がっていた広大な【本丸】の敷地を見下ろすせば、
 歴女ならずとも“キャ━ッ”な感動を味わえることは確実!
 ※「キャッする」だけに・・・(^▽^;)
 

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te


 有名人の290を超える“手形”がズラリ。
 ここは「浅草公会堂」前の【スターの広場】。
 ※哀川翔・加山雄三・北大路欣也・橋爪功・渡哲也・松平健・桂歌丸・小林幸子・由紀さおり・緒形拳・さだまさし・ビートたけし・吉永小百合 他・・・(^-^)/
 
 一般人は自分の手を
 気になるスターの“手形”の上に乗せて
 大きさを比べるくらいがせいぜいですが、
【手相占い】に精通している方は
 “手形”の主の運命と“手相”を照らし合わせる
 特別な愉しみ方ができるのかも?
 
 一番古く最初に設置された“手形”は
 写真手前にある「美空ひばり」さん。
 “昭和の歌姫”は驚くほど小さく華奢な“手形”でした。
  

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sankaku
 

 男の子が一人・女の子が二人、
 楽しそうに丸く手をつないで回っています。
 
 古くは「逆ドリカム編成」というのでしょうか?
 両手に花と言えば羨ましいですが、
 コレはドロドロの恋愛ドラマの定番【三角関係】の像では?
 “なかよし”と大きすぎる文字で書かれているのが
 逆に皮肉なパラドックスのようで・・・。
 
 でも「ドリカム」も今は二人組。
 この【三角関係】もあっさりと時間が解決してくれて、
 今の若い子には「ドリカム編成」の言葉が通じないように
 三人でいたことも忘れてしまうのでしょうか?
 ※この像が立つ「渋谷公会堂」が、この間まで「C.C.Lemonホール」と呼ばれていたことを、すぐに忘れてしまうように・・・(・・;)
 

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gass


 子供たちがケースの穴から手を突っ込んで
 珍しそうに触っていたのは【石炭】、
 古い表現なら「黒いダイヤのつかみ取り」!
 私も久しぶりに触って、
 手に少しベタ付く懐かしい感触を確かめました。
 
 ここは「豊洲」に「東京ガス」がつくった
【ガス】についての疑問を解決してくれる“科学館”、
 その名も『がすてなーに』。
 でも同じ化石燃料でも【ガス】と【石炭】は
 気体と固体で全く違うモノ・・・?

 実は「東京ガス」の【ガス】は
 初めは【石炭】を蒸し焼きにして作っていたのです。
 ※今は【天然ガス】を使っているので、【石炭】は使っていません('-^*)/
 戦後「豊洲」のこの場所は「石炭埠頭」と呼ばれ
 日本一の【石炭】の取扱量を誇り、 
 石炭運搬船から陸揚げされた【石炭】の一部は
 隣接した「都市ガス製造工場」で
 昭和51年まで使われていました。
 
  
 東京都では近い将来に「築地市場」の
「豊洲」移転を予定しています。
 しかしその予定地の
 土壌汚染が大きな問題となり計画は延期に・・・。
 実はその汚染物質(ヒ素・鉛・水銀・カドミウム他)
【石炭】から【ガス】を作った工程で出たモノ。
 問題が解決し移転が始まるには
 まだしばらく時間がかかりそうです。


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COOP


 取り立ててなんの特徴も無い
 古びたマンションの開放廊下。
 しかしどんなモノでも胸を張って自慢したくなる
 誇らしい時代の話が一つくらいはあるもので・・・。
 
 57年前に竣工した
 5階建・総戸数28戸の「四谷コーポラス」。
 ここは日本で初めて造られた
 分譲マンション第1号の物件なのです。
 
 当時の大卒初任給平均が5,600円の時代に
 3LDK(23.3坪・2階層のメゾネットタイプ)で230万円もしたそうで
 一戸建てに比べても破格。
 ローンというシステムも確立していない時代
 庶民にとっては「高嶺の花」&「夢のお城」、
 ここは意外にも憧れのシティーライフの最先端だったのです。
 ※そういう目で見ると、細かい意匠になんとなく趣を感じるような・・・(^_^;)

 だから“黄昏れたオヤジ(私も含めた)が酔うと始める
 昔の自慢話(ホラ話)にも
 時々耳を傾けてやらなければ可哀想だと、
 コレを見て若い方は少しは思って欲しい次第で・・・。
 

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