こんばんわ。
 
4年間一緒に暮らしてSNSでも
よく出てきたわらび。
見てくれていた方は
よく知ってくれてると思います。
 
 
 
そんなわらびの思い出の話をしてもいいですか?
飼い主って人の犬の話を聞いて
あてはまったり
参考になったり
私は読んでいてとても好きなので
まあ私が書きたいんですが。笑
書いていこうと思います♡
 
 
 
 
 
 
わらびが生まれたのは
2012年10月20日
極小サイズのティーカッププードル
表示では
ティーカッププードルの中でも
ss



っていうのが書いてあって
ssでした。
 
 
親友のさっきんが同じマンションで
ラティを飼っていたんです。
一緒に散歩したり生活してるのを
見ていたら私もペットショップに
足を運ぶようになって
小粒に出会ってしまいました。
そして
小粒を飼って1か月かな?
わらびをネットで
ずっとみてて
お渡しできる期間にはいって
当時忙しくて連続して
お休みがあることが
あんまりなくて
ちょうどお正月の1月2日
アポとって
京都まで朝から新幹線で向かいました。
 
それほど飼いたいと思っていたんでしょうね。
当時お付き合いして
一緒に暮らしていた彼はインフルエンザでした。
彼を病院に連れていき
よし、と私は京都に行きました。
このとき彼には「こいつないな」
と思われて別れの理由の時にも
文句で言われたのですが
今ではおいて行ってよかったです。
後悔なし!笑
 
そして京都についた私は
ブリーダーさんと会うことができました。
3匹会いたいとアポを取っていて
白、茶、灰色(当時黒)
の3匹と会うことができました。
 
 
白の子は去年生まれた中で1番だと
激押しなかわいい女の子
茶の子は皆をつぶして自己アピールがすごい子
灰色(黒)のわらびは一番小さくて
でも1番足が大きくて
ぞうさんみたいなバランスで
この子は小さいけど
足を見ると
大きくなるかもしれない
と言われていました。
 
白、灰色
私の中では小粒が白だったのもあって
黒の子かわいいし
なんかひかれるんだよな~って
大きくなても別にいいかなって
当時目がちょっとへんで
なんかこっち見れてなかったんですよね。笑
 
 
でも私そういうの気にしないから
この子だなって思って
灰色(黒)のわらびに決めました。
 
銀行が休みでお金が
おろせないくせに
とられたくなくて
京都に向かったんです。
どうにかなるって。
 
モデルって職業もあったので
いなくなることもないし
探すことはすぐにできるし
お金払うつもりでしたが
そんなことよりも絶対に会いたいと
いう気持ちのほうが強かったんですね!
 
お金借りに行ったんですが
私には少ししか貸してくれなかったんですよね!
街のアコム?かどこかの会社にいったのですが。笑
なので諦めて
ネットバンクがあったので
ネットでその場で精算させてもらいました。
 
 
 
わらびって片手でもてる大きさで
ケーキの箱をしっかりさせた
ような箱でおうちまで来たんです。
 
本当に小さかった。
小さくてみんなきゃーきゃーって
可愛がってくれたの覚えています。
 
 
名前はアトムやらわらじやら
いろいろ
考えたのですが
わらびにしました💛

そこから私の3人家族の生活が
始まりました♡
 
 
どこいくのも
撮影毎日あれば
毎日連れていてたし
前の事務所の方もあたたかく
受け入れてくれたので
本当にどこでも一緒でした。
 
バッグに入ってるのを
気づかれない場合が多かった。
 
カメラマンさんが撮影して
座ったろころから
どいたりすると
こつわらさんが
そのお尻の温かい場所に
座りはっじめたり
カメラマンさんの足にくっついてたり。
 
小さい頃は頭から転がってしまうほど
ダッシュしていたので懐かしいです。
 
 
 
小さいからだと思ってたけど
1年して足が悪いことに
気が付きました。
病院の先生にチワワとかがなる病気かもしれない
っていわれてそのころは
体には異常がなくて
でも頭、脳、だと思うって
いうことを言われてました。
 
手術は本当に大変で体力を奪われたり
元気だから今はこのままでいいのかもと。
私も小さいわらびの体
もしかしたら死ぬかもしれない手術。
検査をたくさんしないとわからない
って聞いていたので
走れるうちは楽しく生活しましょう
って過ごしていました。
 
 
 
昨日も代官山のスタバに行ったんです。
 
でもここは何十回来たかわからない場所で
わらびとの思い出がたくさん。
むしろ行くところでわらびが
いない場所はないんではないかというほど
すっごく思い出しかないんです。
 
 
 
 
当時彼と別れる時が
来るかもしれないから
絶対に彼に犬をとられたくないから
私が面倒見ようと一緒にいた犬たち。
 
私が彼と別れたとき
すっごく辛くて
助けて生活できないって
どうやって自分を保てばいいのかも
すべてがわからなくなったとき
私はこの子たちの親なんだから
私が働いたり
しっかりしないと幸せにできない!
と本当に友達やこの子たちのおかげで
復活することができました。
 
 
本当にこの子たちのおかげなんです。
だから毎日散歩に行って
毎日私がご飯をあげて
おそろいのTシャツや洋服をかいまくって
生活しやすいように
いろいろして
赤ちゃんのように
本当に赤ちゃんを育てるように
一緒に生活してきました。
 
 
さみしいとき
絶対にしっぽふってきてくれる
わらびは頭から突進していつも来てくれました。
臭い口でいつもなめてくれて
嬉しすぎておしっこ漏らすことも
あったり
今ではうんちキャッチすることもあったり。
本当にわらびに物が汚いけど
いやだなんて思わなくて
いつもわらってました。
 
わらびは小粒の真似をして
時には自分より大きいスリッパを
ふって、ふれてないけど。笑
頑張ってみせつけてくれたり
小さい癖に気が強かったので
いっつもほかの犬には
「う~~~~~~」っと
威嚇していました。
 
王様ですね。笑
 
 
小粒は本当に頭がいい子なので
受け入れてくれるというか
すごく優しくわらびにしてくれてました。
 
わらびと小粒のセットでよかった。
運命で絶対にこのセットでよかったんだと
毎回思ってました。
 
 
 
 
 
わらびの後ろ足は滑ってよく開脚しちゃってて
肉球の形つき方も変で
歩きにくかったんだと思います。
前足に負担がかかってしまい
前足もきつくなってたのかな。
 
わらびの体はとっても小さいのに
(1.75kg)
頭は本当大きくて3頭身。
肉球は小粒より大きいのに
身体が小さいんです。
頭が下にいつもさがってる
立ってる状態で
顔をあげることが
あんまりできませんでした。
 
でもかわいくて仕方がなかった♡
 
身体がどうなんて関係なくて
もう性格が本当にかわいかった!
足音もうるさいし
水飲む音もうるさいし
すべての音は
わらびがたててたので
本当に今家が
静かで仕方がありません。
 
 
わらびのために買っていた
じゅうたんも
電気毛布も暖房も
小粒のために使えるけど
なんだか寂しい。
 
うちが絨毯だらけになったり
タオルひいてみたりした時期もあって
わらびをシャンプーするとき
小さすぎて台所でできちゃったりしてました。
 
寒くないように2匹で足湯して
1匹づつ洗ったり
寒くないように暖房をそばに置いて
ドライヤーかけたり
特にわらびが寒いと震えていたので
ダウンきせたり
あったかいダウンバッグ
クッション性もあるので
それに入れたり
本当に手がかかるけど
苦痛でも何にもなくて
ただ一緒にいられる
楽しさ嬉しさでやっていました。
 
 
 
 
 
 
私がわらびを最後見つけたとき
(AM6:00)
最初電気絨毯であつくて
動けなくて死んじゃったんだって
泣き叫んで泣き叫んで
自分を追い込んでしまいました。
でももう仕事に行かなくちゃいけなくて
大阪の仕事で新幹線に間に合わなくて
わらびを置いてなんていけなくて
マネージャーにひたすら電話で叫びながら
状況を伝えてました。
お願いだから1時間遅刻させてください!
ってひたすらそれを
泣き叫んで伝えてきりました。
「わらび!!!!」
って犬のお部屋からだそうとしたら
固まったまま滑り落ちおちてきました。
身体の半分は電気絨毯で
あったかかったせいか
柔らかくて顔頭べろは固まっていました。
目も空いたままで。。。。。。。
 
まだ生き返るかもしれないと
私が来ていたパジャマにくるんで
24時間の病院に駆け込みました。
 
心臓マッサージをして
アドレナリンみたいな注射もしてもらったけど
わらびは生き返ることはありませんでした。
 
分かっていたけどもしここで
病院に行かなくてまだしんでいなかったら
私は殺したことになる。
1%でも生きてるのなら
と。。。。。
 
 
 
 
涙がとまらなくて
正直こんな時になぜ仕事が入ってるのか。
でも行かなくてはいけなくて
どうしたらいいの?と
駆けつけてくれた友人に預けて
たくしーにののり大阪に行きました。
 
私最低だな。
 
 
そんなことも思ったりしました。
でも時間は生きてる限り流れてて
予定は進んでいく
そこに行くか行かないかは私の判断で
ワタシシダい。
 
死んでしまったわらびに
堂々とできるようにいい写真を撮って
しっかりとわらびに会えるように
お仕事をしてきました。
 
 
大阪のスタッフさんは皆いい人で
誰も責めずにお仕事をさせてくれました。
私がいいものをとれるように
本当にあたたかい現場でした。
 
何度も泣きそうになったり
何度もため息をついてしまったけど
絶対にいい写真を撮ってくる
と決めていたので
わらびを心にしまえました。
 
終わってごあいさつをおえ
10m進んだ頃には
こらえてる涙が止まらなくて
アウターにはわらびの
においがついてる気がして
ずっと泣いて帰ってきました。
 
新幹線泣きすぎて
おかしい人と思われてると
思ったので
乗ったことがない
こだまで品川まで帰ってきました。
4時間かかる新幹線だったけど
ひとがいなさすぎて
私にはぴったりでした。
 
 
充電が切れるまで
突然死のことを調べたり
電気絨毯で死ぬかなど
思い当たるすべてのことを
調べていました。
 
3時間後には充電が切れてしまい
でもその頃には
死んでしまった理由が少し見えてきた気がして
違う考え方に少しづつ
変わり始めました。
いきつけの
しんばアニマル病院の先生に
ずっと見ていただいてたので
電話で全部説明して
聞いてもらったりしてました。
 
先生は夏前のわらびちゃんは元気で
どこか具合が悪いということはなかったと
言ってくださいました。
きのうの様子も話した結果
突然死で
苦しむことはそんなになかったのでは
ないでしょうかと。
 
ここの先生は本当にしんみに
見てくださるので
わらびの様子がおかしいときなど
見に行ったりしていて
話したくて仕方がなかったんです。
 
引っ越して場所が変わっても
私はこの先生に見てほしいって
ずっと通ってます。
 
大きい病院ではないですが
すっごく大好きな病院です。
 
池尻大橋、松見坂の近くにある病院です。
もしお近くにおすみだったり
どこにいったらいいかわからない方は
おすすめいたします。
 
 
 
 
家に帰ってきてから
ずっとわらびのそばで話しかけてました。
わらびにはリボンがされていて
そのわらびが入ってる箱を
小粒はびりびりにしていて
おもちゃなどいれてたのに
出していました。
 
 
あとから友人に聞いたとき
え?
それ散らかってたけど
全部わらびの中に入ってたのか・・・・
と小粒にはわらびが死んでることは
分からないのか。。。と。
 
またきれいにわらびにを整えて
ず~~~~~~~~~と
お話していました。
 
 
何処で火葬するかとかは
考えられなくて
今はただ一緒にいたと
一晩を過ごしていました。
 
 
上から見ると
ただ寝てるだけにしか見えない
いつも通りの光景。
 
 
わらびを病院に連れて行くとき
ほっぺたを泣きながらつねりました
嘘なのではないかと
寒さで痛さがわからなくて
でもやっぱり痛かった。
 
 
本当ずっとないてました。
目が気持ち悪いくらい
はれあがってました。
大好きな証拠ですね。
 
 
わらびが天国にいけるように
引きとめるようなことはいっちゃだめだよ!
と教えってもらったり
ねっとでみたり
天国に行ってほしいから
虹の橋ではきっと
元気に走って遊べるから
送り出そうと
思えることができました。
 
 
愛犬の死というのは
本当につらいですね。
分かっていたけど本当につらい
 
わらびのことを考えるとずっと
ないてしまうので
前向きにわらびのことを考えようと持っています。
 
 
 
後悔がないように
わんこを愛してあげなくちゃと
また思いました!
わらびと一緒にいまくったので
まだまだいたかったけど
幸せだったのではないかと
思ってます。
 
本当に一緒にいたな♡
 
 
 
 
 
小粒とはもっともっとお散歩に行かなくちゃって
いま思ってます。
絶対平均よりはそうとう上のレベルで
行ってるともいますが
小粒はお散歩大好きだからね♡
 
 
わらびとの出会いと
いろいろな思いをしっかりともって
過ごしていこうと思います。
 
 
 
 
 
 
少し次の記事で
書きたいこと第2弾書かせてもらいますね!
 
長い文章すみません!
 
 
 
 
 
 
 
 

わらびを見てくれて
遊んでくれて
愛してくれた方々
本当にありがとうございました。
 
インスタでは
コツわらさんで書けなくなりますが
きままに更新していきますね♡
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
わらびいままでありがとう♡
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
S6vvLZU5Du.jpg