合宿所に着いたときは、意識が朦朧としていた・・・・・
今思えば道中わずか3、40分だったであろう。
捕まった時の感情を思いだすと、怒りよりも恐怖しかなかった気がする。
車の中でどんな目にあったのか、そしてここから3日間、何があったのか・・・
断片的にしか記憶が無い・・
覚えているのは、柱に縛り付けられたまま放置されていた事、竹刀が何本も折れるまで叩かれ続けた事、大勢の前で・・・
それはそうだろう、こんな短期間に2度も脱走して捕まったのだから相当な見せしめに合ってるはず。
それだけの目に合っているのに思い出せない。覚えているのは、映像だけで不思議なことに痛みが思い出せない。
背中を向けられ、竹刀で叩かれ続けた両腕は倍くらいの太さに腫れ上がり入れ墨を入れたように紫色で肌の色ではなかった。多分背中も同じことになっていたと思う、鏡に映った自分の顔、目が小さく、肉の奥に引っ込み、頬っぺたは膨れ上がった金魚のように真っ赤に腫れ上がり、自分でない別人の顔、映像はしっかり覚えている。痛みは、想像できるが実際どれだけ痛かったは思い出せない・・・
子孫繁栄の為の機能として、母親が出産の痛みを忘れるように、思い出すと非常に都合が悪い痛みの記憶は思い出せない脳のメカニズムなのか・・
この辺りの記憶が非常に曖昧で、手を貸した仲間がどうなったのか?などが思い出せない。たしか電話番号の入った預かったメモはトイレに流した気がするが曖昧である。
覚えているのは、暫く隔離された後、漸く体が普通に動くようになった頃からだ。
もうとても直ぐに逃げられる状況ではない・・暫くは耐えるしかないと・・・
約2か月間、心を入れ替えたかのように、真面目に取り組み、ヨットの練習にも真剣に向き合った。
3度目の脱走までは・・・・