今、何時なのか。

まだ真っ暗だが目も慣れてきて歩けない事もない。

 

「流石にこの時間なら大丈夫だろう。道を進もう。」

道に戻るのも一苦労、草木をかき分けながら漸く道に戻った。

 

暫く歩くと辺りはすっかり明るくなってきた。

 

平坦な道になり集落に辿りついた。

 

「おい、駅は近いのか?」

「いや。解らん。恐らくあっちの方角だと思う。」

集落の方を指さした。

「この村ん中を歩くのか?」

「いや、さすがに5人で歩いていたら目立ちすぎる。あっちの山まで急いで行って回り込もう。」

「また、山かよ・・・・」

 

小さな集落の隅のほうを抜け再び山道に入った。

最後に食べたのは昨日の朝食だ。もう24時間以上たつ。いつになったら食べ物にありつけるのか・・

 

正午はとうに回っていただろう。

山の反対側が見通せるところまで上がってきた。

「おい、あの駅か?」

線路と駅が見える。

どう見ても平坦な道を歩かなければいけない。

 

「ヨシ、山をおりて一気に駅へ向かおう。」

「取り敢えず、なんか食わねえか?」

「道中にパン屋でもあったらな。」

 

 

駅に着くと辺りは既に少し暗くなり始めていた。

 

 

「汚ねぇな、おめぇ。!」

「おめぇもだわ!」

ジャージは皆、土と草の緑色に汚れていた。

 

「腹減ったな~、駅前なのになんもねえのかよ」

結局店は無かった。

 

誰もいない無人駅といえど駅は緊張する。

時刻はもうすぐ16時だった。

 

5人分の切符をMが買い、無人の改札を抜けた。

電車は直ぐに来た。

中にはコーチが!・・・なんて想像をしてしまう。

 

コーチはいなかった。乗客は数名、特にジロジロみられることもなくホッとした。

 

「次で降りて少し歩いて地下鉄に乗るぞ。一応ターミナル駅は避けよう。」

Mが言う。駅名、路線名を言ってくれるが全く分からない。

とにかく委ねるだけだ。

 

最初の列車を降り20分程歩き地下鉄に乗る。

 

また地下鉄を一つ乗り換え、数駅。

「ヨシ、次やぞ。」

 

やっと食い物にありつけるのか・・

 

駅を降りるともう陽が落ちていた。

「ここまでくればもう大丈夫だろう」

Mは町をよく知っていた。

「念のため、目立たない店に行くが何でもいいか?」

「ああ、娑婆のもんなら何喰ったって美味いからなんででもいいよ。」Oが言った。

 

ひと気のない小さな喫茶店に入る。

「俺はイタスパと小倉トースト、お前らは?」

イタスパ?ナポリタンの事か。

小倉トースト?トーストにあんこ?

「俺も一緒で。」「俺も」

何か分からないが皆と一緒のものを注文した。

 

先に小倉トーストが運ばれてきた。甘い物、特にあんこなどはあまり好きではない。あの時じゃなければ一生自分から頼むことは無かったかもしれない。

 

 

あんこのたっぷり乗った、小さくしやすいよう切れ目の入ったトーストをちぎり口に運ぶ。

 

美味い・・・なんて美味いんだ・・・感動した・・・涙が出た・・・

 

つられ涙なのか、皆も目に浮かべてるように見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

~この後、暫くMの地元の仲間たちの所に分散して寝泊まりさせて貰い、Mの友人や先輩からかカンパを受け半月程して東京に帰る。8月1日のアルタ前にはMと別に逃げた2人が来ただけで、一緒に脱走したあとの3人にはあれ以来会っていません。

結局、両親の元には帰らないつもりでいたが、あるお坊さんと出会い、そのお坊さんから両親に連絡を入れ、預かられる形でお寺に寝泊まりする生活が始まり、学校へは行かず、喫茶店や印刷会社で働いたりしました。

一応中学は卒業は出来ましたが、その後、暴力団関係者と関わったり、歳をサバ読みホストクラブで働いたり、墓場まで持っていく人に言えない体験等等、とても異質な十代を過ごしました。

現在は53歳になり、今では小さいながらも会社を経営し真面目に社会生活を営んでおりますが、成人し社会に出た後も、離婚、詐欺被害、借金、開業と廃業の繰り返し等、話題には事欠かない人生を歩ませて頂きました。

自分の記憶を辿り、記録しておく事を目的にし書き留めようと思ったのですが、もしかしたら誰かの目に留まり、楽しんでいただけたなら、それはそれで嬉しいという気持ちも生まれブログに書く事に致しました。

 

そう、あの喫茶店にはその後2度ほど行きました。最後に行ったのはもう30年位前なので今もあるのかは分かりませんが。

やはり、あの感動、涙の小倉トーストはもう2度と食べる事は出来ませんでした。でも、小倉トーストを口にすると今でもあの時の記憶は鮮明に蘇ってきます。