他人の目




母は自分の病気の話をご近所の仲良しさんに話した。



父は


「他人の不幸は蜜の味なんだから

話したって涙流すふりして中身は笑ってるもんなんだよ」


と言う。



病気のことだって、誰々が死んだとかだって


みんな全部自分に関係なければ所詮他人事。



歳の差カップルだって


自分で言っちゃうのもなんだけど


18歳も離れていたら側から見たら気持ち悪いもの。



自分の子供でもおかしくないじゃんっ


恥ずかしくないのかねー


だなんて思う気持ちを自分でも持っている。笑



TVで巻き髪したマダムが若い子と腕組んで歩いていたら


いい歳して気持ち悪ぅ〜

若い男の子が可哀想〜


とすら思うのに


そんな巻き髪マダムも同年代のダンディなおじさまと腕組んで歩いていたら


あんな仲良しご夫婦になりたい〜とすら思って憧れる。



世の中の基準の目ってのが自分の中にもあるから不思議だ。



なのに、おっさんずラブ見ても気持ち悪いとは思わないんだからおかしな話だよね。



なんなんだろう?この判断材料は。


知らずに植え付けられてる?




自分も他人から見たら気持ち悪いって目で見られていることだろう。



他人がどんな目で見ても


自分達が良ければそれでいい


と、思っているから付き合っているんだけど。



自分でそんな価値観の自分になっている。


のに、気持ち悪いとは思わないんだから



まさにこれが「自分のことは棚に上げて」という心理なのだろう。





精神科医の先生の著書にこんなのがあるらしい。




    

みんなだれでも自分には甘く他人には厳しい。

それは単純に自分自身のことは客観視するのが難しいけど
他人のことはいつも冷静に客観視しているから。

そうすると、自分のことを棚にあげて
他人を批判することも出てくる。

しかしそれは、天に向かって唾を吐くようなもので
結局は自分がストレスを抱えることになりがちだから
他人に寛容であることは、自分自身のためでもある。




要するに、この「棚に上げて心理」は


持たない方が自分のためでもある


ということみたいだ。




寛容に、おおらかに生きて行こう。