新オープンの複合施設とか
今年の鵜飼開きとか
華やかな話題が続きました。
が
ふと思い出すのです。
「このブログは現在、もっと地味な事やってるはずだ」
そんなわけで
岐阜市立長良東小学校区を見て歩く、地味ブログに戻ります。
今回からついに「真福寺村」です。
もちろん、現在ではそんな村名は正式に使われておりません。
古い住民どうしで「しんぷくじ」「村中」なんて言ってるくらいです。
鵜飼屋・福光と並んで「長良三郷」と呼ばれた地域ですが
やたら広いです。
村名はストレートにお寺の名前から来ています。
一歩入ると青面金剛さんがいたりします。
庚申信仰の名残です。
真福禅寺の仏塔は
我が国に鑑真和上を迎えるため
唐土で亡くなった留学僧との縁を顕彰して建てられたそうです。
江戸末期頃の資料によると
「村の北、白山峰の麓に観音堂あり。
大宝年間、守屋大臣の子真福が建立。かつては七堂伽藍、門前に十二坊を」
と有るので、かなり古くて大きなお寺だったようです。
真福寺さんの裏手が六本松墓地で、その一角に「西山四号墳」があります。
七世紀頃の円墳で、思ったよりでかいです。
このすぐ裏手に五号墳があったり、周囲にもいくつかそれっぽい物が有るような気がしますが
周りのヤブはまったく手入れされておらず
竹やぶの中には忘れられた古井戸が口を開けていたりするので
無闇矢鱈に探検しないほうが良いと思われます。
真福寺さんから少し南へ行くと「真竜寺」があります。
こちらも古いらしいのですが
「謎編」でちょっと掘ってみようと思い、今回は割愛。
「松籟団地」の入り口付近には「六社神社」。
天正年間に付近の小社を一ヶ所にまとめたらしいのですが
「古文書等文献が残っておらず、詳細は不明」だそうです。
もう一つ「五社神社」もあります。
「大昔、この地にあった大分限者によって建立(古老談)」って事になってますが
「古文書等、文献が・・・」なんですって。
「五社権現」と紹介している資料もあるので
最初から五柱の神様を祀るためのお社なのかも知れません。
岐阜バス「松籟団地行き」の終点からさらに山側の東へ登ったところには
「弘霊不動尊」があります。
ここはどうも意外と新しいらしいです。
岩窟と滝のある、見た目の良いお不動さんです。
この滝を落ちている水はやがて「天神川」となって「長良用水」になるのです。
松籟団地の南側を塞いでいる小丘に登ってみます。
頂部は2つに別れていますが、片方はほぼ住宅地です。
もう片方には「秋葉神社」と「御鍬神社」が祀られています。
自分は「ここって、掘ったら古墳でてくるんじゃない?」って思ってるのですが
お宮さんが有るんで掘っちゃイケません。
(無くてもむやみに掘っちゃアカン)
なんでそう思うのか?
この小丘からその裾一帯に「龍門寺古墳群」があった(らしい)からです。
この古墳群についても「謎編」でやらなきゃイケませんね。
松籟団地にとってこの小丘はけっこう厄介で
団地の一部では小丘のおかげで地上アナログ波を受信できなかったそうです。
(現在はデジタル波になり中継所も別の場所になってかなり改善された)
丘を南へ下りていくと
岐阜大学の合宿所があったりします。
昔女子寮だった気もしますが
ただのスケベな妄想かも知れません。
そんなわけですが
今回は真福寺村の約東半分
竜東・竜南町、松籟団地、清水ケ丘あたりを歩いてみました。
次回は西半分の
西山、六本松、福泉、清水、もしかすると梅子あたり等を歩いてみようと思います。
それでは、また。










