長らく更新せず放置しておりましたが
理由はいろいろです。
(映画「シティーヒート」より)
もうすっかり忘れていると思いますが
地元の岐阜市立長良東小学校区をウロウロしまくるシリーズを続けていたわけですが
ただ歩き回るだけではなく、それで得られた情報の裏取りをするため
それなりの資料も調べてみたりするわけです。
そんな時に目にしたのが「長良地区の開発計画」でした。
これは計画書が有るわけではありません。
岐阜市と長良村が合併するにあたり取り交わされたと思しい
「岐阜市・長良村 合併関係書類綴」と言う昭和7年の長良村役場の書類で
その中の「覚え書き」です。
(岐阜市史 史料編 近代二 長良村合併関係資料 より)
要するに
「合併してやるから、こんだけの事はしてよね」っていう
上から目線の要求だと思います。
(違うかも知れん)
まず村議会議員の身分保障とか、税率の優遇が出てくるあたり、ドロドロしてていいですね。
そして中川原地区~長良館(現岐阜市新屋敷あたりかな)に三間半の堤防新設。
住民の生命・財産を守る村役場らしいですね。
つぎに来るのはインフラ整備。
岐阜刑務所から
(現・岐阜市立長良中学校は岐阜刑務所の跡地)
東へ向かう道路を八間に拡幅。
(長良平和通り)
長良高見から
真福寺村~志段見~古津御漁場を結ぶ道路の新設。
(岐阜環状線は高見のやや南の長良上天神から真福寺を通り、堀田・雄総から鵜飼い大橋)
そして
「長良雄総地内に公園を!」
(中川原の雄日ヶ丘公園)
「市民運動場を本村(長良村)に設置!」
(岐阜メモリアルセンター内長良川競技場は元県営グラウンド)
美江寺から移動してきた岐阜刑務所を他所に移せって要求もあったらしい。
高見から古津まで道路を引いてどうすんのかと思ったら
「そこに遊園地帯を!」
遊園地って。
今は長良公園が有るけども。
どうやら
長良村と合併すると同時に
長良川の鵜飼を中心にすえた観光開発をしようとしていたらしい。
現在の鵜飼屋地区から雄総、中川原にかけて旅館街や別荘地を整備し
遊園地で一儲けって魂胆だったのか。
この計画は昭和14~15年頃まで、けっこうその気で議論があったらしい。
その後、とてもじゃないけどそんな事言ってる場合じゃ無くなったわけで
戦後、数十年かかってなんとなくそれなりの整備が行われて来た、そんな感じです。
(半分)幻のリゾート開発計画とでも言いますか。
長良地内の遊園地かぁ、ちょっと見たかったかも。
それでは、また。







