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けんけんパー

雑談をする場所です。

 

※あんまこういうこと書く気なかったのですが、必要になってしまったので、書きます。

※「病んでいる人」と「そうじゃない人」という表現が多いですが、そこには本来はっきりとした境界はないです。心労が明らかに表面化している人とそうじゃない人という意味で、使っています。

 

 

 

 

「まさかウチの職場、学校、友達の中で起こるなんて」

当然だけど、起こってからでは、どうしようもない。

 

 

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俺のじいちゃんは自営業をしていました。本当に周りから好かれているじいちゃんでした。

「隙なく気配りのできる人」と周りからは言われ、要は自営業にぴったりの人でした。

 

 

その日も、いつも通り元気に家から仕事場へ向かったようです。帰りが遅いと家族が気になって、仕事場へ向かうと、じいちゃんは首を吊って自殺してました。遺書はありませんでした。

 

 

躁鬱だったのかなんなのか、真実はまさに誰にもわかりません。そもそも当然かもしれませんが、この話題は空気的にタブーでしたので、真実に近くことさえ誰もしませんでした。

 

 

そんなことはいいのですが、ここから学ばなければならないことは確実に一つあって、「たとえどんなに近しい人、よく分かっているはずの人でも、その人が死ぬ決意をしていることすらも我々は察することができない」ということです。

 

 

もしかしたら、単に我々が鈍かっただけかもしれません。察する能力が高い人は、察することができたのかもしれません。でも、他人のことをわかりきることは、到底できないです。

 

 

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別のところから今のことを考えると、「この人なんか最近おかしいのではないか?それこそ死をイメージさせるぐらいに」って思える人がいた場合、全力で助けに行くべきということだと思います。言い方は適切ではないですが、こんな大ヒントなかなかないのです。私のじいちゃんみたいに、大抵はノーヒントでやってしまうのだから。

 

 

ここで、「死を選ぶのもその人の選択の価値観だから、それを止めることはできない」と考えて、あえて状況を受け止めた上で助けを出さない人もいるかもしれません。私はこれについて、「その考え自体は否定できないが、多くの場合、その人の死が自らの選択だとしても、それはその人の思考ではないことがほとんどなので、まずは止めるべきだ」という見解を持っています。

 

 

「自殺するのに、それを決めるのは本人の意思ではない」というのは、おかしいことを言っているように思えますが、本当に病んでいる人にとってはそれは決して「おかしいこと」ではありません。

 

 

一言でまとめてしまうと、病んでいる人は、著しく思考能力が落ちるように思えます。そんな低下している思考能力で決断した行動は、本当に「その人の価値観」なのでしょうか?私には、ただ単に何考えていいかわからなくなり、突拍子もないことをとりあえず言っているだけのように見えます。例えるなら、寝起きで寝不足の人の思考を我々が鵜呑みするのか?ということです。

 

 

これは実体験なのですが、病気になっている時、気づいたらカッターを自分の腹部(いわゆる、切腹スタイル)に当てていることがありました。今考えたらはっきり言ってドン引きです。切腹にドン引きしているのではありません。「全く今では考えもしないことを、病んでいる時には考え、実行しようとしていたこと」にドン引きしています。

 

 

また、心療内科で「心の病気ってどこの病気だと思う?」という質問をされたことがありました。何を言っているのか分からなかったので黙っていたら、はっきりと「原因は過去の心の傷、つまりストレスではあるんだけど、今あなたが患っているのは脳の病気だよ」と言われました。

 

 

私の場合は、視力が著しく落ちると言った症状が主でしたが、ストレスによって脳に異常を起こし、それで視力等に影響が出てきてると。「脳の病気なのだから、キチンと薬を飲み、適切な処置を行えば必ず治ります。時間はかかるけど。」と続けてくれました。

 

 

今考えればそんなの当たり前なのですが、当時はすごい気持ちが楽になりました。「脳の病気」と「思考能力の低下」に密接に関わりがあるのかは確証はないですが、なんとなくその話を聞いてから「やっぱり今の自分は思考能力がとても落ちているんだ」と認めることができるようになりました。

 

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話を戻すと、先ほど私は「兆候が見られる人は助けに行くべきだ」と書きましたが、では「助ける」とは、具体的には何をするべきなのかという疑問があると思います。

 

 

今までの話を踏まえて、私が思う「助け」とは、もちろんその人の側にいてあげるとかもとても大事だとは思いますが、ここで言いたいことはそういうことではなく、「病んでいる人が明らかに思考能力が低下した上で、おかしな行動をしようとしている時、未然にそれを止めること」だと思います。

 

 

これには大変な労力と、何より勇気がいります。まず、「思考能力が低下した上での行動」かどうか判断するためには、「普段の思考のその人」をよく見ていないといけません。その二つのその人のズレの幅を意識できるかが大事な気がします。

 

 

そして勇気です。たとえ思考能力が低下しているとはいえ、「今のその人の考え」なのは間違いありません。そんなその人の考えに対して、「そうじゃないよ」と言える勇気が大切な気がします。その人にとってはその発言ははじめ、辛い一言に聞こえるかもしれませんが、先のことを考えると、確実に大切な一言になってきます。自分に臆病だと、これはなかなか言えません。とても大きな勇気な気がします。

 

 

ここで、一つ疑問があるかと思います。例えば、病んで引きこもりの人が、突如「気分転換に外に散歩しに行ってくる」と言った時に、どう対応すればいいのでしょうか。これは、「思考能力の低下による発言なのかどうか」という問題です。

 

 

はっきり言ってそれはわかりません。私は、だからこそ心療内科には必ず行くべきだと思っています。

少なくともそこに行けば、一般人が悩むレベルではなく、客観的な判断で対応してくれます。適切な薬をいただいた上で、散歩を許してくれるかもしれません。要は、我々が考えても答えが出ないことは、「ちゃんと専門的な知識がある人」に対応していただくべきだと私は考えているということです(もちろん、全てのお医者さんが有能というわけではないし、病院も営利の面があるので怖いですが、そこを心配していたら何も始まらないので考慮していません)。別の視点ですが、本人にとっては「今治す努力をしているんだ」と認知できるのも大きいかと考えています。

 

 

先ほどの勇気の話に戻りますが、つまり、我々がはじめに頑張らないといけない(勇気を出さないといけない)場面は、「明らかに病んでいるのに病院に行ってくれない人」に対して、「いや、ちゃんと行きましょう」と言う場面だと思います。昔から「徹底的なアンチ病院」の人とかなら話は変わってくるのかもしれませんが、基本的にちゃんと行くべきと伝えることは大切なのかなと思っています。

 

 

 

ありきたりな話ですが、早期に対応できるほどいいことはありません。本人は違和感程度でも、大病の入り口だったことなんてザラにあるのは周知の通りだと思います。その対応のことを考えても、病院後のやりとりとしても、やはり「勇気」というのは一つ意識しておきたいところな気がします。

 

 

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ここからは、病んでいる人の側にいる人の視点ですが、

 

「あの時の俺/私のせいで、あの人はそうなったんじゃないか」

 

 

はっきり言ってそこは否定できないと思います。そもそも「そんなことないよ」と言われても、納得しないと思います。

 

 

その人のことが大切であればあるほど、大きな反省をするかと思います。

簡単に難しいことを書いてしまいますが、その反省をした上で、これからどうするかに尽きると思っています。

 

 

過去は過去、これからはこれからではありません。切り離す必要などないです。過去とこれからです。過去があった上での今を意識することが大切な気がします。これもまた、過去を意識し続けるという意味で、先ほどとは別の勇気、強さが大切になってくると思います。

 

 

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なんでこんなこと書いているかというと、これが今の私の反省なのかなと思います。おそらく、こんなこと書く価値がない人物なのかもしれませんが。

 

 

先ほどまで長々書いてきたことは、頭の中で整理はされていませんでしたが、前からずっと思っていることでした。

 

 

その上で何もできなかったのは、他の方とはまた違う反省が必要なのかなって感じています。はっきり言って自分はクズだと思ったりもしました。

 

 

顔のクマがおかしかったり、言動もパッとしなかったり、気づくところなんていくらでもありました。

「え、マジで大丈夫です?」思い返すとこれくらいしか言えなかったです。結局、保身にまわってるのは自分も同じなんですよね。

 

 

といっても、まだ最悪の状況ではないので、これから自分がどうするかはかなり気を配らないといけないです。

 

 

朝6時半くらいまで上司と相談し、何度寝ようとしても「いやこんなの寝れるわけねえじゃん…」って同時に起きました。「ほんとそれな」って心から思いました。

 

 

ここら辺はどうでもいいですね。とりあえず久々本気でショッキングな出来事だったかもしれません。でも、まだ自分は大丈夫なので、他の人に目を配らせたいなとは思います。

 

 

とりあえずまとめると、悲しいことにいつ誰が大変なことになるかわからないからこそ、日々の人間関係、本当に近いところだけでもいいので、目を凝らして付き合うのがいいのかなって。そんな気分でおそらくこんなことを書いているのだと思います。