山田ズーニーさんの「おとなの小論文教室」を読み返していた。
「ほぼ日刊イトイ新聞」の中で連載されていたコラムを文庫にしたものです。
2年前位に友人に勧められて買ったものですが、その時はよく理解できてなかったと思う。
今読み返すととてもおもしろい!
少し琴線に触れた部分を。。
Lesson9の「私の世界観をつくる・あらわす」の中の「世界観を形にする---Y先輩の話」で
『だけども絶対的な価値なんていうものは、常に、常に、常に、揺らぎがあるもので、
そんなものよくわかんないのよ。
だから私は、その揺らぎの中でその時々の、少なくとも自分の、
その場持ってる知恵と誠意を尽くした限りの世界を、そのつど、そのつど出していくしかない。
(中略)
それは、やっぱり他者と向き合うってことだと思うの。自分の内面の理想じゃない
世界があるってこと。しかもそれが圧倒的だということ。それを知ること。』
(山田ズーニー「おとなの小論文教室。」より引用)
こういうことが書いてあった。
他者と向き合うっていうのは、必ずしも楽しいばかりではないです。
会話を思い出して「なんで私あんなこと言ったんだろう」とか
「あそこでもっと気遣ってあげられなかったのかな」とか
「なんで自分の思ったこと言えなかったんだろ」とか
ズキズキするものもたくさん持ってかえる。
「自分の理想とは違う」って思うのが原因。
不本意なコミュニケーションで、「こんなはずじゃなかった」なんて後悔する。
まさに内面の世界です。
そうじゃなくて、本当の自分を表現したい、面白いものは面白い、美しいものは美しい、
そういう揺らいでいる自分の絶対的価値観、内面の理想を出すだけ出して、
外の圧倒的な理想じゃない世界にすり合わせていく。
もっと色んな世界(考え)を知ること。
そういうことが大事なんじゃないかなと思う。
真剣な話になればなるほど、お互いの内面の理想の世界がぶつかりあうわけだから。
「妥協」とはまた違うような?
じゃあどうやって理想をかたちにすれば?
コラムの中で、今の時代を泳ぎきるには「自分の頭を動かしてものを考える力」が必要だと言ってます。
こういう本を読むといろんなことをごちゃごちゃと考えてしまいますが、
結局生きるためにはよく考えるしかないと思うのです。
これでいいのか?こうするためにはどうしたらいいのか?
大好きだったバスケのコーチはよく練習中に「意識しろ」と言ってました。
意識とは、「物事や状態に気づくこと。はっきり知ること。また、気にかけること。」。
考えて、知ること。
それが意識することにつながる。
とにかくこの本を読んで、自分で考えて表現することの大切さを
改めて感じました。
なんでおねこさまはダンボールが好きなのかしら?
bgm:Open Your Heart/Madonna