大好きなお父さんへ。
お父さんが心配してた大阪ライブ、無事終わったよ。
大阪近かったから、どこかから見てたかな。
そう思って悠頑張ったよ。
うまく、笑えてたかな。
今年のお正月は忘れられないお正月になったね。
お父さん。
お父さんは、自分のお父さんがいなくて、「父親がどういうものなのか分からない」とある時言ったそうだね。
私と兄にとってお父さんはスーパーマンであり、最高の父親でした。
昔、大好きなドラマを録ったビデオテープが修復不能な程絡まってしまい、
泣きながらお父さんのところに持っていったね。
次の日起きたら、テーブルの上に綺麗に元通りになったテープが置かれていて、
はしゃいで喜んだのすごく覚えてるよ。
何でも直してくれたし、何でも作ってくれた。
小学校の時は毎年自由研究手伝ってくれて、毎年何かの賞もらったね。笑
お通夜で聞いたんだけど、お兄ちゃんがお小遣い貯めて買った時計を直しに、時計屋さんに行ったら「直せません」って言われて、持ち帰って自分で直したたんだって?
やっぱりお父さんに直せないものはないね。すごい。
何でも自分で作っちゃうし!鞄とか、筆箱とか、写真立てとか!しかも全部センス抜群。
もりみちのロゴも作ってくれたよね。
何か分からないことがあって聞いたら必ず答えてくれた。
お母さんの世界一の理解者で、夫婦喧嘩なんかしたことなかったね。いつもラブラブだった。
お父さんみたいな人と結婚したいってずーっと言ってたよね悠。
お通夜で私が知らないお父さんの話も沢山聞いたよ。全部かっこよかった。
お父さんの自慢し出したら止まらないよ。
本当に小さい頃からずっと大好きだった。
でもね、直せないものはないけど、自分の体は治せなかったんだね。
辛かったんだよね。苦しかったね。
頑張ったね、お父さん。
「悠の仕事に迷惑かけたくないから、15日まで体持たす」って言ってたんだって?
だから最後まで頑張ってたの?
悠のこと心配だった?
大丈夫ちゃんとやったよ。応援してくれる人がいるから頑張れた。
ちゃんと笑ってたの、見てた?
お母さんのこと心配?
大丈夫、お友達が沢山いるし、お兄ちゃんも頼りになるからね。
お兄ちゃん、介護士さんになったの、この時のためだったんだねと皆で言ってたよ。
喪主をしっかり果たしたの見て分かったでしょ?やればできる子だよ。
そうだ。
病室でライブのDVDを見てたら、看護師さんに
「アイドルがお好きなんですか?」と言われて、「娘なんです」と自慢したそうだね。
色んな看護師さんやお父さんの仕事仲間に会う度、「あなたが娘さん!お父さんいつも自慢してたよ!」と言われました。ライブ見に行ったんだっていつも言ってたって。
私の前ではそんな素振り見せなかったのに。
iPhoneの待ち受けも私の写真だったね。
お父さんの事務所にも、自分でデザイン加工した家族の写真が沢山貼ってあったね。
お父さん、私はお父さんの自慢の娘でしたか?
もっと仕事してる所見せたかった。
カッコイイところ見て欲しかった。
頑張ってるところ見て欲しかった。
全然見せられなかったや。ごめんね。
ウエディング姿も孫の顔も見せてあげられなかった。
バージンロード、一緒に歩きたかったな。
お通夜お葬式で泣いたら顔がぐしゃぐしゃになってしまうので、必死にこらえて背筋伸ばしてました。
お父さんの自慢の娘であるために。
ちゃんとできてた?
いつもみたいに「大したもんだな。」って言ってよ。
目を伏せて照れながら「ははは」って笑ってよ。
私の仕事の話、楽しそうのにちゃちゃ入れながら聞いてよ。
駅に車で迎えに来て。いつもみたいに。
「誰かのためなら頑張れる」の「誰か」が、病気が発覚してからずっとお父さんだったんだ。
でも家族のため、応援してくれる人のため、支えてくれる人のために悠もう少し踏ん張ろうと思う。
お父さんは今回のことでびっくりするくらい沢山のこと教えてくれたんだよ。
最愛の家族の死、人が亡くなるということ、周りへの感謝、どうやって受け入れていくか、
今度誰かが同じ思いをした時にどう接したらいいのか、とか
たくさんたくさん知らなかったこと教えてくれたね。
ありがとう。
お母さんが、「お父さんがいなくなっても、何かを判断する時にお父さんだったら何て言うだろう、と思い出しなさい。」と言われました。
平和で温厚でお茶目で真面目で気遣い屋で優しく物知りなお父さんを思い浮かべて、何かあると、
「お父さんだったら、」と思ってます。
「何をやってもどんなに一緒に過ごしても後悔は必ずするよ。」って友人に言われたの。
最後2人きりで話せた時、「お願いがあるんだけど、悠の頭撫でて?」っていったら、
あまり喋れない状態だったのに、いつもみたいに照れ笑いしながら沢山撫でてくれたね。
お母さんがいつも言ってた「何でもできる魔法の右手」で。
それがあるから、悠は少し後悔が減ったんだよ。
頑張れるって。
沢山後悔はあるけど、最後一緒に過ごせて本当に良かった。
お父さんがいなくなった後iPhoneの着信履歴見たら、私が全然出てこなくて、もっと電話すればよかったと泣いたけどね。
涙なんて体から水分が無くなるんじゃないかって思うくらい出したけど、不思議なものでやっぱりまだ出る。
でもね、お坊さんの「娑婆は地獄」という言葉に私は救われた気がします。
お父さんはきっと今色んなことから開放されて楽しくやってるんだよね。
好きなことやってるよね。
そっちは楽しいかな?懐かしい人たちと出会えてる?
綺麗であったかいところだといいな。料理もできるといいね。
グラタン作ってみんなに振舞ってあげて。もっとおいしいって言いたかったな。
悠がそっちに行くのは恐らくまだ先で、その頃にはお父さんどっか旅立ってるかもしれないけど、できれば、うん、忙しくなかったら、
いつもみたいに車でお迎えにきてね。
車に乗ったら、いつもみたいに会えなかった時に起きた面白いこととか報告するから。
お父さんも笑いながら色々教えてね。
最後に、好きなことしながらでいいから、
遠くから見守っててね。悠のこと。お母さんのこと。お兄ちゃんのこと。
よろしくお願いします。
会いたいなあ。
悠
本当にありがとうございました!ヽ(。>▽<。)ノ