そういえば、10日にオンライン2時間研修会で、臨床心理士の先生のレクチャーを受けました。

オンライン2時間はキツイ。。でも、途中で体操タイムとかあったので、まぁ何とか。

 

コロナ禍の心理的な問題への対処の実践、みたいな教員向けの研修会でした。

 

コロナ禍から前期は対面にシフトしたので、結構心理的な問題が表面化しました。

友達がいないとかできない、やる気がでない、大学に入った目的がわからなくなった(先が見通せない)など。

体調不良も続出。在宅では体調不良でも問題が顕在化しないですから。

 

そんなこんなは、とても「あるある」ばかりだったので、講義内容は特に新鮮ではなかったけど、復習的な感じでした。

講義の後半は、対処の実際の方法というか実践例のお話で、そこは興味深く、役立つな~と思いました。

ただ、心理士さんと教員で立ち位置が違うのは、心理士さんは「無理なく、ありのままでいいよ~~」というスタンスですが、

教員は心理的問題があっても、期限内に課題を達成させないといけない、という責任があるところが関わりの難しさだろうと思います。

実習や授業でいきなり出てこれなくなって、でも本人は留年はしたくなくて、という時は、短時間で問題をしのいでいかないといけないので、突貫工事的な対処をしないといけない(対症療法か)のです。根治療法をしている時間はない。

そこが違うでしょうね。。

 

だから心理士のお話は、ちょっと言い方が良くないけど、悠長な感じがしました。

まぁ、カウンセラーがせせこましい対応も良くないのではありますが。最後の砦ですからね。

 

レジリエンス、の話もありました。

弾力というか、対応力というか。

災害レベルの心理的な問題も、レジリエンスがあれば柔軟に対処していけるという理論です。

 

講義とは関係ないのですが、個人的には「メタ認知」も最近気になるワード。

自己評価を高くつける学生が多いのですが、コロナ禍で他者の出来具合が見えないと、自分の立ち位置というか出来高がわかってないから、やたら高く評価しちゃうように感じます。

そうすると、現場の実習に出て、心がポキッと行くわけです。

できている、と思っていたのに全然できないじゃないか、と愕然とするわけです。

メタ認知できてないからでしょうか。

 

オンラインの弊害ですね。

人は他者との関りで、自己の認知が良くなるのだろうと思います。

それがなく、個で過ごすと良くないですね。

 

自分ごとに置き換えると、「肺がん」と診断された時に、まさにメタ認知がない初めて体験で、

ブログを読んだり、書いたりすることでメタ認知が強化されて、レジリエンスも育つのかなと思います。

体験すること以上の学習はないのでしょうね。