なぜ「私立の」こども園(幼稚園)の父母会の在り方に問題提議したのか?

 

 

それは、時間的余裕のある幼稚園ママたちが、

そのまま地域のPTAの主要メンバーへとスライドされるからです。

 

そして時間的余裕=経済的余裕がある

一部の学校経営者や保護者の価値観が、

行政の開く色々な集まりを介し

学校経営者代表、

PTA代表、

父母会代表、

として、

教育行政へも影響を与えてしまうから。

 

本当の意味での地域の保護者のニーズが、

行政事業へ反映されづらい構図が出来上がってしまっています。

 

それを変えるには、

より子育て現場のニーズを行政に吸い上げてもらうには、

子育て世代が参加できるような

自発的な集まりとしてのPTAや父母会が当たり前のものにならないと、

変わっていかないと思っています。

 

それだけが理由じゃないけどね。

 

 

 

「どんな状況下であれ」

保護者は幼稚園や保育園やこども園や学校の、

手助けをして当たり前。

 
病気だろうが、介護があろうが、ハードワークであろうが、

妊娠を望んでいようが、していようが、

その活動や会の在り方に賛同していなかろうが。

 

 

そのマインドが初めて関わる子育ての、教育の場で、

保護者に刷り込まれてしまう功罪は大きい。


功もありますが罪の方がずっと大きいように思えています。

 

 

 

幼稚園保育園は神社や寺など宗教に関する経営母体が多いことも、

「悪平等」を含む日本特有の奉仕の精神の刷り込みと関係している気がします。

 

 

神社や寺など宗教に関する経営母体=悪平等の精神性がある

ということではありません、

もちろん。


ただ、地元の有力者であった場合など、

昔からの権力構図が当然のものとなっていたり、

保護者側も氏子のように促されるままに

そのマインドを受け入れてしまう形が出来上がっている気がするのです。

 

ひとりひとりの保護者が、

自発的に当事者意識をもって、子育て環境を変えようと思えるかどうか。
 
敢えて強い言葉を使うと、
「奴隷根性」を刷り込まれていないか。
子育てについて、
地域や行政へどう働きかけていけばいいのか、
保護者が自分の頭で考えられる環境づくりができないだろうか。
 
 
先日傍聴に行った、中野区の「子ども・子育て会議」では、
冒頭に偉い人の講演が行われ、
【地域】での介護の在り方や子育てについて話しがされました。
 
ですが、ひどく違和感を感じたのが、
「どう考えたって人手が足りなくなるんだから、
そこを地域で補完しようね」感。
 
税金を投入したり、
その部分の公的人員を増やそうという方向とは真逆のものでした。
 
 
「子どものため」
「地域での助け合い」
 
そういったきれいな言葉で包み、
実際は無給の労働への参加を促す内容に見えました。
 
 
このままでは、
子育て世代への負荷は増え、
身動きがとれなくなるばかり。
 

今、目の前にあることから変えるしかないじゃない。

ただのお母ちゃんだから。