令和元年
海上渡御祭 再興二十年の
『西宮まつり』もいよいよ21日から
始まるので何かやってるかなぁと思い
やって来たものの何もなかった😭😆
【西宮神社】
南門
起源
創建時期は不明だが 延喜式内社の
「大国主西神社」に同定する説がある
現在 境内末社の大国主西神社が
式内社とされているが
後述のように西宮神社自体を本来の
式内大国主西神社とする説もある
だが延喜式神名帳では菟原郡となっており
西宮神社がある武庫郡ではなく
西宮神社にせよ 現在の大国主西神社にせよ
式内社とするには一致しない
ただし武庫郡と菟原郡の境界は
西宮神社の約200m西側を流れる
夙川でありこの河道の変遷により
古代は菟原郡に所属したとする説もある
式内大国主西神社との関係が
いずれにしても平安時代には
廣田神社の境外摂社であり
「浜の南宮」または
「南宮社」という名であった
廣田神社と神祇伯の白川伯王家との
関係から頻繁に白川家の
参詣を受けており 既に篤く
信仰されていたことが記録に残っている
平安時代末期 廣田神社の摂社として
「夷」の名が初めて文献に
あらわれるようになる
そのためこの頃から戎信仰が
興ったとの説がある
(同時期の梁塵秘抄にも 諏訪大社
南宮大社 敢国神社と共に
廣田神社の末社が南宮とされている)
この南宮が現在の西宮神社であり
廣田神社の境外摂社である
「南宮神社」が現在でも西宮神社の
境内にあるのはその名残りである
拝殿
沖恵美酒神社
梅宮神社
伊勢神宮遥拝所
大國主西神社
「西宮」という名称の起源について
以下のように諸説ある
1️⃣えびす神を最初に祀ったと伝わる
鳴尾や古代の先進地域である
津門から見て「西の方の宮」という説
2️⃣京都から見て貴族の崇敬篤き
廣田神社を含む神社群を指して
「西宮」と称していたが
戎信仰の隆盛と共に戎社を
「西宮」と限定して
呼ぶに至ったという説
3️⃣「西宮」とは上述の延喜式内社の
大国主西神社の事を指すとの説













