*急転直下で25日に紅白を辞退するとNHKが発表しました。

 最初から辞退するつもりなら

 ディナーショーをキャンセルした時点で

 全ての仕事をキャンセルしていたはずなので

 観測気球としてあげた「出場の意向」という記事に対して

 予想以上に辛辣な声が寄せられて

 やはり辞退という流れなのではないかと推察します。

 以下の記事は昨日アップしたもので

 出場する前提で書いていますが、聖子に対する考えは

 変わっていないのでこのまま遺しておきます。

 

 

神田沙也加が亡くなりましたね。

三浦春馬が亡くなった時も

竹内結子が亡くなった時もびっくりしましたけど

神田沙也加の訃報は岡田有希子が亡くなった時の衝撃を

思い出さずにいられませんでした。

死後5日が経過しても

まだ心の何処かで「本当に?」と思っている自分がいます。

 

三浦春馬や竹内結子や芦名星が相次いで亡くなった昨年は

世界中の人がコロナ禍によって「この先どうなるんだろう?」っていう

漠然とした不安を抱えていましたから、訃報に衝撃を受けながらも

うっすらと事情を察することができたんですね。

もちろん、個々のケースにおける真相は

本人にしかわからないことですが

いち受け手として「こういうことだったんだろう」と

頭の中で道筋を立てて整理をつけることができたんですよ。

でも今回は、神田沙也加という人に対して

比較的ポジティヴなイメージを抱いていたこともあって

なかなか整理がつきません。

手がかりが無さ過ぎるっていうのかな。

 

文春報道が出て

記事内容は確かにとびきりゲスでしたけど

彼女が何を思い悩んでいたのか、身体的にどういった不安を

抱えていたのかが見えてきたことも事実で

彼女の35年間をまるで遠縁の親戚のような距離感から

眺め続けてきた私には、正直助かる部分もありました。

過熱する報道に眉を顰める人がいることも理解はしますし

取材対象が沙也加でなければ、私だって「そっとしてあげなよ」と

ここで書いていたかも知れません。

野次馬根性と言われればそれまでですが

「少しでもいいから(彼女の死を)納得する理由が欲しい」と

藁をも掴む気持ちでネットのニュースを渡り歩いている人にとっては

文春の記事が溺れかけた身を陸地へと導く

救命ボートとして機能した面もあるんじゃないでしょうか。

真相に全く触れないまま過度に美化した思い出話を書き連ね

最後にいのちの電話やらLINEアカウントやらをコピペして貼り付ければ

一丁上がりのゴミ記事より、後追いを防ぐという意味でも

遥かに有益だと私は思います。

 

文春をゲスだと叩くのは簡単ですが

芸能マスコミとは元来ゲスであるほど耳目を集めるものであり

記事の注目度の高さ、反響の大きさ(売り上げ)こそが

唯一絶対の評価基準です。

「恥ずかしくないのか!」「親が泣いてるぞ!」と

義憤に駆られて文春を叩いている人も

文春からすれば「反響+1」であることに変わりはなく

どれだけ言葉を労したところで編集部に響くことはないと思います。

方や自分が気持ち良くなりたいだけの余計なお節介、

方やプロの仕事ですもん、勝負になるわけがない。

 

これまでの数々のスクープや記事内容の精度からして

文春が憶測だけで飛ばし記事を書く可能性は低く

記事が全て事実だとの前提で流れをまとめると

沙也加が結婚したいと本気で思っていた前山剛久に

手酷い裏切りをされたことがトリガーとなって、

かねてより喉の不調があり、心療内科にも通院していた

彼女の心の糸がぷっつりと切れてしまったと解釈しました。

母親は松田聖子、父親は神田正輝という、願っても叶わない

大スターを両親に持つ”選ばれし子”としてこの世に生を受けたはずが

親と同じ(近い)道を志したことで

思春期から激しいバッシングを受け

人並みの幸せから程遠い人生を強いられてきた。

何をしても正しく評価されない苦しさと孤独の中で闘いながら

ついに手に入れた安住の地・ミュージカルで華開き

「アナと雪の女王」のアナ役に抜擢されたとき、私は心の底から喜びました。

「これでようやく七光りの呪縛から解放される、良かったね」と。

七光り浴びまくり期も迷走期も見続けてきたので喜びも一入だったんです。

 

努力でバッシングを乗り越え成功を手に入れた沙也加が

手に入れたい最後のピースは(母親のように奔放な恋愛ではなく)

平穏な結婚をして子を産み育てること。

それは、生前のインタビューで何度か読んだことがあります。

文春の記事からは、母親を反面教師とするあまり

理想像が高くなり過ぎて、男に疎まれる恋愛をしてしまう

タイプだったのだろうと想像がつきます。

彼女の境遇まで理解して全てを受け入れる

懐の深いタイプであれば、望む幸せも手に入れられたかも知れませんが、

恋愛遍歴を振り返るに、沙也加の好みは人間的な大きさには

比重が置かれていないようなんですよね。

男性側からすれば荷が重かったというのもあったと思います。

浮気した程度で相手の事務所の社長に直談判したり

生涯責任取りますと念書書かせるなんてこと、普通はしませんもん。

それが逆効果であることに気づきもしないほど

彼女の心は乾いていたのかも知れません。

恋愛サイクルが短命なのも、沙也加の注ぐ愛情の重さに

窮屈さを感じ逃げられたことが多かったんじゃないかな。

母親のようになりたくないとの強い信念から

相手に多くを求め過ぎた結果、

世間からは「共演者喰い」「恋多き女」の烙印を押され

挙句、結婚を考える相手から浴びせられたのが

「お前は母親と一緒だ」ですからね。

言葉を放った本人の考える何百倍の鋭さで刺さったと思います。

必死の努力で七光りを払拭し、ミュージカル俳優としての

成功を手に入れた彼女が手に入れたかった最後のピースは、

シチューのCMに出てくるような、平凡で温かな家庭だったんじゃないかな。

生き方や性格を変えるのって簡単なことではないので

私は彼女の最後の選択を頭ごなしに否定することはしません。

勿体無いとは思うけれど、私達の声援では彼女の乾きは

癒されなかったわけですから、決断に対して何か言う資格はないです。

彼女が導きだした最良の手段が

真冬の空に身を投げることであったなら、受け入れるしかありません。

 

さて、これを書き始めたのは12月23日の夜なんですが

クリスマスイブの24日になって

松田聖子が紅白に出場する意向であることが発表されました。

記事が出てしまったので後出しジャンケンみたいになって

恥ずかしいんですが、私は松田聖子が紅白に出演することは

訃報を速報で知った時からわかっていました。

辞退するなんて本当に、1ミリも思っていなかった。

むしろ23日からのニューオータニのディナーショーを

飛ばしたことに驚いたぐらいです。

「え?やらないの?」って。

自分自身や世間一般の母親像を松田聖子に重ね合わせて

「出られるはずがない」「私なら辞退する」とか

書き散らかす人もいますが、何か勘違いしていませんか?

 

松田聖子ですよ?

 

出るに決まってんじゃん。

 

別れを惜しむ時間も作らず、北海道に飛んですぐ密葬が行われたのも

初七日が大晦日に被らないようにするための配慮だろうと思います。

開く必要ないと言われた記者会見場に現れた聖子は

沙也加の好みの色(青)を汲むことなく、

自身の好みのピンクで位牌を包んでいました。

ちなみに、芸能界で唯一の親友としてブログでも紹介されていた

中島美嘉は、本文は何も書かずただ青い花の写真をアップしています。

あのピンクの位牌を見たときに、女優・神田沙也加の死は

「松田聖子の愛娘の死」に置き換えられたのだと直感的に思いました。

位牌を持った記者会見も、別にマスコミが強制したわけじゃないでしょう。

当たり前のこととしてカメラの前に立っていたのだと思います。

激動の時代を生き抜いてきた、松田聖子の松田聖子たる所以です。

 

ここまで読んで悪意に取りすぎじゃないかと

感じた方もいるかも知れませんが、全然違います。

私は松田聖子が悪意をもって

一連の行動をとっているとは微塵も思っていません。

 

だって彼女は松田聖子ですよ?

 

このタイミングの紅白なんて、出るの当たり前じゃないですか。

神田正輝が明日放送の「旅サラダ」に予定通り出演すると発表したのは

聖子は紅白に出るつもりだろうから先に自分が活動を再開して

批判の矛先が聖子ひとりに向かわないように配慮したんでしょう。

元嫁への配慮というより、沙也加の母親を守ったんだと思います。

 

「嘘泣きのプロ」と言われたアイドル全盛期から

数々のタレントと浮名を流し、ライバル視されていた中森明菜が

近藤真彦と付き合っていると知りながらN.Y.でデートに呼び出して

まんまと写真を撮られて明菜を撃沈させ、

郷ひろみと別れたってだけで記者会見を開いて

「生まれ変わったら一緒になろうね」と十八番の嘘泣きで

後世に残る名台詞を放つ大芝居を打ち、

そのわずか1ヶ月後には神田正輝と交際宣言をしてそのままゴールイン。

産後は現役のトップアイドルとして史上初のママドルとして芸能界復帰。

その結婚も10年ほどで終わらせてシングルマザーの称号を手に入れ、

年下のジェフに入れあげて何やかやと暴露されつつ歯科医とビビビで再婚、

原田真二とは長く事実婚状態で音楽活動も共にしていましたが

再婚には至らず、再々婚の相手が再び歯科医で現在に至る、と。

どうですか、13行でまとめるには濃厚過ぎる聖子の波乱万丈人生。

これほどの荒波を、まるでサーフィンでも楽しむかのように軽々と乗りこなし

40年間に渡り芸能界に君臨し続けてきたのが松田聖子という人なんです。

 

愛娘の死は、華やかな経歴の中で最も大きな衝撃だったかも知れませんが

同時に、彼女がどうしても手に入れられなかった最後のピースとも言えます。

数々の醜聞の全てを「生涯現役のアイドル・松田聖子」を

ステータスアップさせるための養分として吸収してきた彼女ですが

スキャンダルを乗り越えるほどに

強さやしたたかさばかりレベルアップしていたのも事実です。

美空ひばりにしろ中森明菜にしろ、歴史に名を残すスターは

皆人生のどこかで決定的に不幸な出来事に見舞われていて、

その悲劇が歌に深みを与えて伝説と化しています。

松田聖子は芸能界で常に勝ち続けてきた人で、悲劇とは無縁だった。

しかし、愛娘の死というこれ以上ない悲劇を経験することで

ついに松田聖子は最後のピースを埋め、

完全体になる可能性を手に入れました。

プライバシーを切り売りするどころか

敢えて全開にして芸能界を走ってきた聖子なら

このタイミングで隠遁生活なんてするはずがないんですよ。

初めから出るの一択だったと思いますし、それでこそ松田聖子です。

 

華やかな世界とは無縁の一般人が、

勝手に自分の身の丈まで聖子を引き摺り下ろして

「気持ちわかる」とか「同じ母親として」とか

烏滸がましいにも程がある。

生き馬の目を抜く芸能界で万難を排して

松田聖子を生き抜いてきた人なんですから

経験したことのない悲しみに包まれている今こそ

天性の勘でステージに立つ選択をしたんだと思います。

そして私は、その決断を断固支持しますね。

 

ちょっと脱線しますが、美内すずえの漫画「ガラスの仮面」に登場する

「イサドラ!」という舞台の中で、踊り子である主人公のイサドラが

死について語るシーンがあります。

 

「死ぬときは悲しいかしら、こわいかしら、苦しいかしら
 それとも少しばかりは幸福なのかしら?
 死・・・・どうやって踊ればいいのかしら・・・?

 

天才的な踊り子のイサドラ・ダンカンは

死を間近にしてもなお、死というものをどうやって

踊りで表現するのかを考えます。

死の淵でも踊ることから離れられないイサドラの様子を

劇中では「舞踏家としての性(さが)」と評していました。

今の松田聖子は、まさにこの心境なのではないかと。

どうなってしまうのか自分でも想像がつかないけれど

今こそステージに立って経験してみたいんじゃないですかね。

歌手・松田聖子の性として。

 

来年すぐにでも新曲を出すでしょうし、ツアーもやるでしょう。

松田聖子の何度目かの黄金期がやってくる予感がします。

娘の死を無駄にしないことが、

聖子にしか出来ない、聖子なりの供養になるのだと思います。

沙也加にはお疲れ様、聖子には頑張れと声をかけて

2021年唯一の更新は終わりとします。