「ヨルタモリ」で初めてこの人を知ったって人も多いんじゃないでしょうか。
今回のお題はこの方、能町みね子です。
先日、能町が日本テレビに対して抗議をしました。
何に対しての抗議かと言うと、こちらです。

●能町みね子さん「私はオネエじゃない」日テレに抗議

今月4日に放送された「今夜くらべてみました」の中で
ボードで芸能界で活躍してきたオネエタレントが年表で紹介される場面があり、
能町さんは2000年以降に活躍する1人として名前と顔のイラストを掲示された。
能町さんは間接的にそのことを知り、「私はオネエではありませんので
日テレの人は訂正してください」などとツイートした。

『オネエという表現は、差別に受け取れます。
割り切ってオネエを受け入れて仕事されている方もいらっしゃいますが、
私は違います。ひとくくりにしてほしくありません』


07年、能町さんは戸籍を男性から女性に変更した。
同年1月にタイで性別適合手術を受け、3カ月後には家庭裁判所に戸籍変更を認められた。
「ニューハーフ」「女性的な男性」などの意味で使われる
「オネエ」が適さないのは事実。
かつて男性だったことを隠してはいないが、それを売りにはせず、
エッセイストとして評価され、テレビ出演も重ねている。
戸籍変更の過去を知らない視聴者も多い。
その状況で事前に知らされることもなく「オネエ」とされた憤りがある。


せっかくチンコを切って女性籍を手に入れたというのに
それだけでは飽き足らず、元仲間とも言えるオネエタレント軍団を
「ひとくくりにしてほしくありません」とぶった斬ったわけですね。
この人がまだ一介のブロガーだった頃から知っている私としては

『根性悪のオカマがクラスチェンジして
 すげー根性悪の元オカマになったなあ』


と、そんな思いを抱かずにおれないわけですが
この能町のコメントに脊髄反射したのがクリス松村でした。

●クリス松村、能町さんの「オネエ抗議発言」を「批判」

要約すると「何よ、ちょっとチンコ取ったぐらいで
偉そうにすんじゃないわよ!キィィィイイ!」ってことなんですが
発言を斜め読みした上に曲解し、勇み足でブログを書いたクリス松村が
バカだったとしても、今回に関しては能町の方が分が悪いと思います。
何故なら、能町はそもそも「オネエという言葉は差別だ」と抗議できるほど
差別用語に注意しながらのし上がって来た人ではないから。
炎上の気配を察知した能町はTwitter

「俺、デブです」って自分で言うのは勝手だけど
他人を「あのデブの人」って呼ぶのは失礼すぎるだろって話です。


と早速火消しに回りましたが、悪いけどこれも後付けにしか思えない。
さらにその後も続々とツイートは続き

日テレの南波昌人氏は、メールをツイッターで公開されるのは嫌だから
メールを送らないでどうにか根回しして会おうとしてるんだそうです。
やましいんでしょうね


と名指しで批判したかと思えば

クリス松村さんの発言については、ブログを読んでもよく真意が分かりません。
私は別にほかのゲイの方々とか、セクシャルマイノリティを否定するような
発言はしていないんですが…


と、これまたクリスが曲解しそうなツイートを追加燃料のように投下しています。
140という文字数制限の中であぶり出される能町の上から目線が
「ほかのゲイの方々」などという表現に表れています。
怖いですね文字って。

ちょっと話を変えて、そもそも『オネエ』って差別用語なんでしょうか。
私の勝手な感覚だと、オネエってのはただ単に女言葉を使っている男性なんですけど、
これ間違ってますかね(笑)

以前「金スマ」だったか何だったか忘れましたけど
美輪明宏が青年期までの壮絶な半生を語ってたんですね。
武勇伝の大半は忘れてしまいましたが、
その中で唯一覚えているのが「オカマという言葉をこの世からなくしたい」でした。
オカマってのは元々侮蔑の意味を持った蔑称であって
自分も若かりし頃、周りからオカマオカマと散々蔑まれた。
だから今のようにオネエタレントがわーわー大勢テレビに出られるのは
良い時代になったと目を細めて見ていますよ、とまあそんな内容だったと思います。
反対に、私がこんなに必死にオカマって言葉をなくそうと努力してるのに
某双子タレントが自らオカマを名乗って仕事するもんだから
一向に絶滅できないのよ!腹立たしい!と憤慨しているのを見て、
「あぁ、美輪明宏はおすぎとピーコが大嫌いなんだな」と知りました。

大人気のマツコ・デラックスもオカマを多用しますが
実はマツコをテレビに引っ張り上げたのはピーコだと言われています。
編集者時代からマツコの優秀さを見抜き
あれこれ世話を焼いていたのがピーコであることは
ピーコ本人もマツコも何度かテレビで発言しているので
マツコがオカマを連呼しているのは、自分がピーコ派であることを
カミングアウトしていると言って間違いないでしょう。
假屋崎省吾や米良美一あたりは美輪を神のように崇めていますから
オカマという言葉を使っているか・いないかで
オネエタレント戦国マップをおすピー派と美輪派に色分けできるのかもしれません。
時間があったらやってみたいけど今回は議題が違うので話しを戻します。

さて、ブロガー出身の能町ですが、ブログのタイトルはご存知でしょうか。
ブログ本ブームに乗って書籍化までされた人気ブログのタイトルがこちらです。

オカマだけどOLやってます 能町みね子

「オカマだけどOLやってます」

これが、能町が書いていたブログのタイトルです。
オネエなんて現代語より遥かに歴史の深い、
オカマという差別用語を自分のブログに付けていたわけですね。
この突っ込みに対して能町は
「だってこの頃はまだチンコあったんだもん」と答えていますが、
チンコがあるうちは蔑称を自らのブログに冠することも平気で、
切った途端にオカマより遥かにライトな
オネエにすら過剰反応をするのはどうなんですかね。
切ってない人達はオカマと罵られることも止むなし、とも受け取れるわけで
ダイエットに成功した人がデブを激しく罵ったり
禁煙に成功した人が嫌煙家になったりするのと似たような思考を感じます。
「お前もそこから来たんじゃないか」と思ってしまうわけですよ。

そもそも、オカマだオネエだ言われるのが嫌なら
オカマだった頃の能町みね子なんてペンネームは本と共にさっぱり捨てて
全く別の名前で仕切り直せば良かったじゃないですか。
売れた名前だから惜しかったんでしょ?
肥大した自意識をリセットして一からやり直すぐらいなら
この名前のままでいいやと思った時点で、
この人はもうオカマやオネエって言葉に対して
抗議を言う資格は失ってるわけです。
そこを引き受けながら生きていくしかない。
本当に心の底から嫌なら、オカマとイコールで結ばれる名前は
いかなるリスクと引き換えにしても捨てていたはず。
捨ててないなら商売オネエと思われてもしゃーないし、
「ひとくくりにしてほしくない」なんて勘違いもいいとこ。

「オカマだけどOLやってます」の著者・能町みね子

なんだから。