韓国映画「バッカス·レディ」(2016年)を見た。
「高齢者専門の立ちんぼう売春婦が少年を助けたり、客に同情したりする姿を描く」という物語説明がされていたりもするが、
この作品、とてもとても瞑想的な映画なのだ。

見る瞑想と言ってもいい。


この世には、フィクションでしか描けない人間の機微がある。「バッカス·レディ」はそれを描いている。

この売春婦ソヨンを演じているのが、この前、アカデミー賞助演女優賞を受賞したユン・ヨジョンssiだ❨おめでとうございます!❩。

私はドラマ「ホテリアー」「棚ぼたのあなた」でお目にかかっている。

一度見たら忘れられない個性的な女優さんだ。


売春婦ソヨンが住んでいるのは、中庭のある洋館風の建物で、そこにはセクシーなトランスジェンダーの大家と、片足を失った気のいい若者がそれぞれの部屋で暮らしている。

3人とも世間からはフツーじゃないと区分けされる人たちだが、ソヨンが、

「明日食事に行くから空けといて」

と誘えば、一緒に食事をしたりするいい関係だ。

血は繋がっていなくとも、お互いを気にかけている素敵な家族だ。


ある日、彼女は昔の馴染みの客と再会する。

このことがキッカケで彼女は、神が見たならニッコリ微笑むような「戯れ」を、しかし世間の基準から見れば「大罪」を犯すことになる。


次々と再会してゆく昔の客、そして「老い」と迫りくる「死」という現実の前に、ただ一つの事実があらわにされてゆく。

それは、

「人はこの世に独りでいる」

という、普段は見えにくい単純な事実なのだ。

裕福だが、家族関係は冷えきっている寝たきりの男がみじめに独りいる。


自尊心の強い男が認知症になり、恐れながら独りいる。


愛する妻子に先に逝かれた男が寂しく独りいる。


死は非情だ。


過去の栄華、輝かしい肩書き、履歴、人を有頂天にさせ、拠り所としていたこれらのガラクタが、死を前にして何の支えにもならないことに気づかされる。

むしろ底辺に位置すると思われている売春婦ソヨンのほうが、ある豊かさのなかにいることがわかる。

そのソヨンの中にも大きな悔恨、苦しみはあるのだが……


サスペンスドラマのように描くこともできる話だが、流れる音楽がフランス風のホンワカした感じの軽さがあるので重い話にはなっていない。

淡々と物事が起こり、過ぎてゆく。

韓流ドラマによくある感情の大きなうねりはない。

だが、見終わって、決して嫌な気持ちにならない。いや、むしろ楽な気持ちになる。


我々を瞑想に誘う映画なのである。



京アニの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝」を見た。

緻密で美しい背景画の素晴らしさは今さら言うまでもない。

物語の舞台はヨーロッパのどこか架空の地、登場人物たちの目はブルーだったり、名前は英国風で、西欧人だ。
しかしここに描かれているのは実のところ日本人であり、日本人の精神世界である。

韓流ドラマにある激しい葛藤、そして強い緊張感はここにはない。

時代は何かの戦争後の復興期で、傷を負っている人間は出てくるが、あからさまな暴力は出てこない。
安心して見ていられる。
そして物語はさほど曲折せずに、視聴者の願うような展開で直進してゆく。

優しい物語。

温かい物語。

こんなクリエイターが日本にはいるということを世界に誇れるアニメーション作品だ。




毎日、毎日、日課のように、
日本人が日本人を殺している。

我々は傷つけられるだろう   
血を流すだろう
むごい目に遭うだろう

だが、この世に



愛を殺せる剣はない

愛を打ち砕ける銃弾はない

愛を焼き尽くせる炎はない



「冬のソナタ」の熱狂から18年。
韓流ドラマに遅れてやって来た私も、とうとう見ました。

ユジンとチュンサンの物語。

泣かされました。

韓流ドラマお決まりの、非現実的な装置が使われているのは重々承知で見ていたけれども、それでもなおこの物語は引き込む力を持っている。
一つにははユジンを演じたチェ・ジウssi の存在が大きい。

私が初めてチェ・ジウssi を見たのは「二度目の二十歳」(2015)、その次が「天国の階段」(2003)、そして今回の「冬のソナタ」(2002)という順序だが、「冬ソナ」のチェ・ジウssi は圧倒的だ。
ユジンを演じるためにチェ・ジウssi は生まれたと言っていいくらい、いや、そう言いたい。

さらにシナリオがすぐれている。
数々の物語が無限の集合無意識から、作家という子宮を通って姿を現すが、驚いたことに、「冬ソナ」はベテラン作家によるものではなく、無名の二人の女性作家から生まれた子なのだ。
そして人々に最も愛された子だ。


スーフィー(イスラム神秘主義)の導師、ハズラット・イナヤット・カーンはうたう。

愛しい人と会えるときも会えないときも
恋するものの悲しみは絶えることがない
会っているときは会えなくなることを恐れ
会えないときには会いたくてしかたがない
こうして愛の苦しみは
恋人たちの人生そのものになっていく


ただ、水をさすようだが、
どんなに恋い焦がれて一緒になった二人でも、24時間顔を突き合わせて暮らしてゆくなら、最初の高揚感は次第に鎮まり、数年後には退屈と倦怠がやって来るだろう。
「冬ソナ」のユジンとチュンサンも例外ではない。

覚者が言っていた。

「あらゆる恋愛は災難だ」

最初は甘く、やがては酸っぱくなり、最後には苦くなる、と。

だが、現実にはできなくとも、ドラマの中では可能なこともある。


「ごめん、愛してる(ミアナダ、サランハンダ)」の最終回の翌日、出勤して仕事中いきなり号泣し出すという「ミサ廃人」が大量に生まれたそうだが、おそらく「冬ソナ」も「フソ廃人」が沢山出ただろう。

心が洗われるドラマ
人に紹介したくなるドラマ
ハートに深く訴えるドラマですミダ。