今季初観戦
前職時代からお世話になっている久保ちゃんのお誘いを受け、今季初観戦。

札幌ドームの様相は大きく変わっていた。
かつて外野自由席だったところも指定席になったらしく、外野指定のチケットがなければ入れなくなっていた。
久保ちゃんは広島ファンなので、ライトスタンドの自由席へ。オレはレフトスタンドへと思ったが、このチケットでは入れない。なので、アッパー席にアップグレードしようとチケット販売ブースへ。
オレ「すみません。このチケット、アッパー席にアップグレードできますか?」
受付「(チケットを見て)お客様のチケットは招待券なので、アップグレードは適用されません。買い直していただくということになりますが…。」
オレ「それで結構です。アッパー席はおいくらですか?」
受付「今は、アッパー席というものがございません。C指定席ということになりますが…。」
わお。しばらく来なかったら、アッパー席もなくなっていた!
というワケで、無事に指定席を購入。座ってみると、三塁ベースの延長線上のなかなかの良い席で、トイレへの通路からも近く、大変快適に観戦できた。
かつて通ったレフトスタンドは指定席になったせいか、一列ずらりと空席があったりして、様変わりしたものだと感じた。しかし、レフトスタンドの応援は相変わらず熱く、盛り上がっていた。その様を見ながら「もうオレの役目は終わったのだな…。」と今さらながらに感じた。
思い起こせば2004年。
ファイターズが札幌ドームを本拠地にしたあの年。
オレの初観戦はこの座席から見えるあの辺りだったなぁ、と思い出す。
ファイティーくんの法被を着た、いかにも古くからのファイターズファンと思しきオジサンが斜め前に座っていた。
近寄りがたい雰囲気だった。
レプリカのユニフォームを着ている人も少ない時代の話である。その時に色褪せたファイティーの法被と年季の入ったメガホンをもって、オジサンは一人で内野S指定席に座っていた。
オレはといえば、ファイターズの選手なんてほとんど知らない。知っていたのはピッチャーのガンちゃんこと岩本勉とサード小笠原道大、そしてその年に加入した新庄剛志の3人くらい。あとは誰が誰だかわからない。森本稀哲の名前を球場で配っていた選手名鑑風リーフレットで確認し、「ひちょり? 変わった名前だなぁ。韓国人か?」とか言っていた。ちなみにその観戦当時、せっかくサードベース付近の席を確保したにも拘らず、数少ない知っている選手小笠原道大は怪我で欠場していた。だから、代わりに誰かがサードを守っていたはずなのだが、それが誰だったのか、未だに思い出せないでいる。
さて、ファイティーオジサンはさすがであった。坪井が打席に入ると
「ともちかちゃ~ん、がんばって~」
と、坪井の名字ではなく、名前を呼んで応援した。リーフレットで確認する。確かに坪井の名前は智哉(ともちか)であった。
エチェバリアが打席に立つと
「えんじぇるちゃ~ん、がんばって~」
と、これまた名前を呼んだ。リーフレットで確認すると、彼は確かに「エンジェル・エチェバリア」だった。
ファイティーオジサンの声援はどう考えても選手には届かないくらいの小さな声だった。それがまた往年のファンの風格を感じさせた。そして、ファイティーオジサンは、打席に立つ選手の名字ではなく名前を呼び続けた。
ファイティーオジサンと並んで、最前列の少し離れた席では、別のオジサンが嬉しそうにビールを飲んでいた。
「ガンバレー!」
と、大きな声で応援していた。途中居なくなったと思ったら、ビールのカップを四つ持って帰ってきた。一人で何杯飲んだのだろう。ビールオジサンは途中で明らかに酔った。試合の終盤には座席で眠り始めた。オジサンは座席からずり落ちて、床で眠り始めた。床に置いたいくつかの飲まれずに放置されたビールの上にオジサンが寝転んだものだから、その辺り一面をビールが覆った。係員が気付いて、モップを持ってきて掃除していたが、ビールオジサンは寝たまま起きなかった。ビールオジサンはビールにまみれ、名実ともにビールオジサンになった。嬉し過ぎたのだ。地元にプロ野球の球団がやってきて、地元で毎週のようにプロ野球を観戦できることが嬉しくて仕方なかったのだ。巨人から移籍してきた入来祐作投手の初勝利の試合ではなかったかと思う。入来がお立ち台に上がるのをもっと近くで見ようと、ネットの近くまで降りた時も、ビールオジサンはまだ床の上で寝ていた。
その試合、20-2でロッテに爆勝した。オレは「このチームは打撃のチームだ!」と確信し、試合中に売店でヘルメットを買った。そのヘルメットは今も観戦の度にかぶって行く。
内野S指定席から見るレフトスタンドの盛り上がりは異常だった。なんといっても20-2で勝った試合だ。レフトスタンドは常にファンファーレが鳴り続き、得点の際の「バンザーイ! バンザーイ!」がこだまし続けた。その様があまりにも楽しそうで、「次はあそこに行って観よう」と決意する。その後、オレは仕事が休みの水曜日に札幌ドームでハムの試合がある日は、ほとんど観戦することになる。まだまだお客の入りは少なく、レフトスタンドですらいつ行っても(といっても水曜日ばかりだったが)空いていた。動員数5,000人くらいの試合も多かったのではないだろうか?
それがまた「オレが応援してやらねば!」という心に火をつけたのだった。
その後ファイターズはすっかり北海道の球団として道民に受け入れられ、ファンも増えて行く。
移転後3年目の2006年にはリーグ優勝。そして日本シリーズを制して日本一に登り詰める。
新庄の引退とも重なり、レフトスタンドのチケットの入手も難しくなるほどの人気だった。
さて、試合の方はファイターズの先発がスウィーニー。広島ルイスとの投手戦。七回まで2-2の拮抗した展開だったが、8回裏 広島ピッチャーがルイスから横山に代わってから一挙に流れがファイターズへ。この回稀哲のタイムリー、糸井の3ランなどで一挙に5点を挙げ試合を決定づけると、最後は新生江尻慎太郎がサイドスローからの唸る速球で打者3人、わずか8球できっちり抑え、7-2で勝利した。
かつてのアッパーシートから球場を見渡す。
平日の広島戦(広島ファンの皆様、失礼します(^^;)だというのに、2万2千人を動員したという。
「オレの役目は終わったんだな…。」
今はC指定席となった座席で、オレは足を組んで試合を見つめた。もう攻撃中に立ち上がることもない。
応援歌も時たま無意識に口ずさんでいるくらい。
この座席は静かで良い席だなと思う。
の世話があるので、ビールも飲めないオレは、野球を観戦できるのが嬉しいのに、ビールオジサンにはなれない。
坪井が代打で打席に立った。
「ともちかちゃーん、がんばって~」
と、小さく呟いてみたが、どうやらファイティーオジサンにも程遠いようだ。

札幌ドームの様相は大きく変わっていた。
かつて外野自由席だったところも指定席になったらしく、外野指定のチケットがなければ入れなくなっていた。
久保ちゃんは広島ファンなので、ライトスタンドの自由席へ。オレはレフトスタンドへと思ったが、このチケットでは入れない。なので、アッパー席にアップグレードしようとチケット販売ブースへ。
オレ「すみません。このチケット、アッパー席にアップグレードできますか?」
受付「(チケットを見て)お客様のチケットは招待券なので、アップグレードは適用されません。買い直していただくということになりますが…。」
オレ「それで結構です。アッパー席はおいくらですか?」
受付「今は、アッパー席というものがございません。C指定席ということになりますが…。」
わお。しばらく来なかったら、アッパー席もなくなっていた!
というワケで、無事に指定席を購入。座ってみると、三塁ベースの延長線上のなかなかの良い席で、トイレへの通路からも近く、大変快適に観戦できた。
かつて通ったレフトスタンドは指定席になったせいか、一列ずらりと空席があったりして、様変わりしたものだと感じた。しかし、レフトスタンドの応援は相変わらず熱く、盛り上がっていた。その様を見ながら「もうオレの役目は終わったのだな…。」と今さらながらに感じた。
思い起こせば2004年。
ファイターズが札幌ドームを本拠地にしたあの年。
オレの初観戦はこの座席から見えるあの辺りだったなぁ、と思い出す。
ファイティーくんの法被を着た、いかにも古くからのファイターズファンと思しきオジサンが斜め前に座っていた。
近寄りがたい雰囲気だった。
レプリカのユニフォームを着ている人も少ない時代の話である。その時に色褪せたファイティーの法被と年季の入ったメガホンをもって、オジサンは一人で内野S指定席に座っていた。
オレはといえば、ファイターズの選手なんてほとんど知らない。知っていたのはピッチャーのガンちゃんこと岩本勉とサード小笠原道大、そしてその年に加入した新庄剛志の3人くらい。あとは誰が誰だかわからない。森本稀哲の名前を球場で配っていた選手名鑑風リーフレットで確認し、「ひちょり? 変わった名前だなぁ。韓国人か?」とか言っていた。ちなみにその観戦当時、せっかくサードベース付近の席を確保したにも拘らず、数少ない知っている選手小笠原道大は怪我で欠場していた。だから、代わりに誰かがサードを守っていたはずなのだが、それが誰だったのか、未だに思い出せないでいる。
さて、ファイティーオジサンはさすがであった。坪井が打席に入ると
「ともちかちゃ~ん、がんばって~」
と、坪井の名字ではなく、名前を呼んで応援した。リーフレットで確認する。確かに坪井の名前は智哉(ともちか)であった。
エチェバリアが打席に立つと
「えんじぇるちゃ~ん、がんばって~」
と、これまた名前を呼んだ。リーフレットで確認すると、彼は確かに「エンジェル・エチェバリア」だった。
ファイティーオジサンの声援はどう考えても選手には届かないくらいの小さな声だった。それがまた往年のファンの風格を感じさせた。そして、ファイティーオジサンは、打席に立つ選手の名字ではなく名前を呼び続けた。
ファイティーオジサンと並んで、最前列の少し離れた席では、別のオジサンが嬉しそうにビールを飲んでいた。
「ガンバレー!」
と、大きな声で応援していた。途中居なくなったと思ったら、ビールのカップを四つ持って帰ってきた。一人で何杯飲んだのだろう。ビールオジサンは途中で明らかに酔った。試合の終盤には座席で眠り始めた。オジサンは座席からずり落ちて、床で眠り始めた。床に置いたいくつかの飲まれずに放置されたビールの上にオジサンが寝転んだものだから、その辺り一面をビールが覆った。係員が気付いて、モップを持ってきて掃除していたが、ビールオジサンは寝たまま起きなかった。ビールオジサンはビールにまみれ、名実ともにビールオジサンになった。嬉し過ぎたのだ。地元にプロ野球の球団がやってきて、地元で毎週のようにプロ野球を観戦できることが嬉しくて仕方なかったのだ。巨人から移籍してきた入来祐作投手の初勝利の試合ではなかったかと思う。入来がお立ち台に上がるのをもっと近くで見ようと、ネットの近くまで降りた時も、ビールオジサンはまだ床の上で寝ていた。
その試合、20-2でロッテに爆勝した。オレは「このチームは打撃のチームだ!」と確信し、試合中に売店でヘルメットを買った。そのヘルメットは今も観戦の度にかぶって行く。
内野S指定席から見るレフトスタンドの盛り上がりは異常だった。なんといっても20-2で勝った試合だ。レフトスタンドは常にファンファーレが鳴り続き、得点の際の「バンザーイ! バンザーイ!」がこだまし続けた。その様があまりにも楽しそうで、「次はあそこに行って観よう」と決意する。その後、オレは仕事が休みの水曜日に札幌ドームでハムの試合がある日は、ほとんど観戦することになる。まだまだお客の入りは少なく、レフトスタンドですらいつ行っても(といっても水曜日ばかりだったが)空いていた。動員数5,000人くらいの試合も多かったのではないだろうか?
それがまた「オレが応援してやらねば!」という心に火をつけたのだった。
その後ファイターズはすっかり北海道の球団として道民に受け入れられ、ファンも増えて行く。
移転後3年目の2006年にはリーグ優勝。そして日本シリーズを制して日本一に登り詰める。
新庄の引退とも重なり、レフトスタンドのチケットの入手も難しくなるほどの人気だった。
さて、試合の方はファイターズの先発がスウィーニー。広島ルイスとの投手戦。七回まで2-2の拮抗した展開だったが、8回裏 広島ピッチャーがルイスから横山に代わってから一挙に流れがファイターズへ。この回稀哲のタイムリー、糸井の3ランなどで一挙に5点を挙げ試合を決定づけると、最後は新生江尻慎太郎がサイドスローからの唸る速球で打者3人、わずか8球できっちり抑え、7-2で勝利した。
かつてのアッパーシートから球場を見渡す。
平日の広島戦(広島ファンの皆様、失礼します(^^;)だというのに、2万2千人を動員したという。
「オレの役目は終わったんだな…。」
今はC指定席となった座席で、オレは足を組んで試合を見つめた。もう攻撃中に立ち上がることもない。
応援歌も時たま無意識に口ずさんでいるくらい。
この座席は静かで良い席だなと思う。
の世話があるので、ビールも飲めないオレは、野球を観戦できるのが嬉しいのに、ビールオジサンにはなれない。坪井が代打で打席に立った。
「ともちかちゃーん、がんばって~」
と、小さく呟いてみたが、どうやらファイティーオジサンにも程遠いようだ。
