働く馬
毎日、色々なお客さんが乗る。
ほとんどのお客さんは
「かわいいねぇ」
「頑張ってるねぇ」
笑顔で愛おしそうにヤツ
を見ている。
しかし、中には
「可哀想だ」
という感想をもらすお客さんがいる。
「こんな熱いアスファルトの上を歩かせて」
「こんな重たい馬車を曵かせて」
オレは考える。
現代のこの社会で動物が人間と共生するということはどういうことだろう?
馬だけに限って言えば、この動物はかなり昔から人間と関わってきたと言えるだろう。
人間に飼われ、人間の為になるように、畑を耕したり、荷物を運んだりしてきた。
今も畑を耕したり、牛を追う為に飼われている馬もいると思うけれど、数でいうと競馬の競争の為や乗馬の為に飼われていることがほとんどかもしれない。
まぁいずれにせよ、人間の役に立つ為にこの世の中に存在している。
逆に言えば、人間が自分達の都合の為に飼っている。
馬にとってそれは幸せなことなのか?
残念ながら彼らは言葉が話せないので、本当のところはわからない。
しかしもし、たとえ競馬や乗馬という「人間の愉しみ」の為の存在が「可哀想」だという理由で否定されてしまったら、少なくともこの動物は瞬時に絶滅の危機に瀕するだろう。
この動物が野生の状態で我々の生活(都会の生活)の近くに存在することはできない。
人間の手により調教されるからこそ、安全に我々の生活の近くにいられるのだ。
そして、もうこの現代で彼らが生き残って行く為には、そうされる以外に道はないと言っても過言ではないのだ。
勝手な言い種であるのは十分承知している。しかし、人間はそうやって勝手に様々なものを自分達の生活の為に変えてきたではないか?
例えば、お宅で飼っている犬や猫はどうなのだろう?
必要以上の栄養を与えられて肥満化したり、去勢されたり、小さな檻に入れられたり…。
我々は罪深い。
生まれながらにして人間は他の命の犠牲なくして生きて行けないのだ。
だから感謝してその恩恵にあずかるしかない。
誠に勝手な言い種であるとは思うのだが、そんなところに考えが行き着いてしまうというのが今のオレの現状だ。
ごく一部のお客さんしか言わないが
「可哀想だ」
と言う方々。
どんなお考えなのかな?
うちの馬。ばんえい競馬で走ってました。
あんまり成績が奮わなかったので、引退させられて「肉」になる寸前にうちのボスに拾われて、今 街の中で馬車を曵いております。
「肉になっちゃった方が、こんなに力仕事しなくて済んだんだから、幸せかも…?」
オレにとってはそのご意見の方が怖いなぁ、と思うんですがね(^^;
ちなみに「力仕事」といいますが、ばんえい競馬の馬さん達は1トンのソリを曵かされる。農耕馬は朝から晩までそれこそ「馬車馬のごとく」働かされる。
うちの馬の曵く馬車はタイヤ付き。これ人間でも3人くらいいれば簡単に動かせるんです。
馬にとっては朝飯前の仕事です。うちの馬、いつも居眠りしながら仕事してます。
朝10:00から午後5:30まで、お昼休み一時間付きです(笑)。
鞭でお尻を叩いて発進の合図をする。
傍から見ているとこれがまた「可哀想」と映るらしいけれど、ハミ(唇の両端のところにあたる金具)で御す方が馬にとってはずっと痛い。
お尻を鞭で叩かれても、うちのは「合図」にしか過ぎませんから!
知識がないことは怖いことだと思う。
あと「猫可愛がり」なお客さんも困る。
「可愛い可愛い」だけでは動物は飼えない。
正しい知識で正しい方法で人間社会と関わらせる。
これが現代に生きる人間が、現代の社会と関わる動物を飼う為にしなければならないことだとオレは思う。
ほとんどのお客さんは
「かわいいねぇ」
「頑張ってるねぇ」
笑顔で愛おしそうにヤツ
を見ている。しかし、中には
「可哀想だ」
という感想をもらすお客さんがいる。
「こんな熱いアスファルトの上を歩かせて」
「こんな重たい馬車を曵かせて」
オレは考える。
現代のこの社会で動物が人間と共生するということはどういうことだろう?
馬だけに限って言えば、この動物はかなり昔から人間と関わってきたと言えるだろう。
人間に飼われ、人間の為になるように、畑を耕したり、荷物を運んだりしてきた。
今も畑を耕したり、牛を追う為に飼われている馬もいると思うけれど、数でいうと競馬の競争の為や乗馬の為に飼われていることがほとんどかもしれない。
まぁいずれにせよ、人間の役に立つ為にこの世の中に存在している。
逆に言えば、人間が自分達の都合の為に飼っている。
馬にとってそれは幸せなことなのか?
残念ながら彼らは言葉が話せないので、本当のところはわからない。
しかしもし、たとえ競馬や乗馬という「人間の愉しみ」の為の存在が「可哀想」だという理由で否定されてしまったら、少なくともこの動物は瞬時に絶滅の危機に瀕するだろう。
この動物が野生の状態で我々の生活(都会の生活)の近くに存在することはできない。
人間の手により調教されるからこそ、安全に我々の生活の近くにいられるのだ。
そして、もうこの現代で彼らが生き残って行く為には、そうされる以外に道はないと言っても過言ではないのだ。
勝手な言い種であるのは十分承知している。しかし、人間はそうやって勝手に様々なものを自分達の生活の為に変えてきたではないか?
例えば、お宅で飼っている犬や猫はどうなのだろう?
必要以上の栄養を与えられて肥満化したり、去勢されたり、小さな檻に入れられたり…。
我々は罪深い。
生まれながらにして人間は他の命の犠牲なくして生きて行けないのだ。
だから感謝してその恩恵にあずかるしかない。
誠に勝手な言い種であるとは思うのだが、そんなところに考えが行き着いてしまうというのが今のオレの現状だ。
ごく一部のお客さんしか言わないが
「可哀想だ」
と言う方々。
どんなお考えなのかな?
うちの馬。ばんえい競馬で走ってました。
あんまり成績が奮わなかったので、引退させられて「肉」になる寸前にうちのボスに拾われて、今 街の中で馬車を曵いております。
「肉になっちゃった方が、こんなに力仕事しなくて済んだんだから、幸せかも…?」
オレにとってはそのご意見の方が怖いなぁ、と思うんですがね(^^;
ちなみに「力仕事」といいますが、ばんえい競馬の馬さん達は1トンのソリを曵かされる。農耕馬は朝から晩までそれこそ「馬車馬のごとく」働かされる。
うちの馬の曵く馬車はタイヤ付き。これ人間でも3人くらいいれば簡単に動かせるんです。
馬にとっては朝飯前の仕事です。うちの馬、いつも居眠りしながら仕事してます。
朝10:00から午後5:30まで、お昼休み一時間付きです(笑)。
鞭でお尻を叩いて発進の合図をする。
傍から見ているとこれがまた「可哀想」と映るらしいけれど、ハミ(唇の両端のところにあたる金具)で御す方が馬にとってはずっと痛い。
お尻を鞭で叩かれても、うちのは「合図」にしか過ぎませんから!
知識がないことは怖いことだと思う。
あと「猫可愛がり」なお客さんも困る。
「可愛い可愛い」だけでは動物は飼えない。
正しい知識で正しい方法で人間社会と関わらせる。
これが現代に生きる人間が、現代の社会と関わる動物を飼う為にしなければならないことだとオレは思う。