父がお風呂に入れなくなった。トイレには一日数回行っていたが、ほぼほぼ寝たきりになってきた。一日に一度体を拭いて着替えさせること。そして、歯磨きを朝と晩に行うくらいで、あとはラジオを聞いたり、テレビを見たりして過ごしていた。

 主治医の先生から、訪問入浴を勧められ、父は、「やってみっか。」と乗り気になった。

 

本来は、要介護がついていていないので訪問入浴は保険適用ではないらしいが、要支援でも介護保険が使えることがあるらしい。ケアマネさんが手配をしてくれて、翌日に訪問入浴が来てくれることになった。

 

 話はズレるが、訪問看護、診療が入ってから、彼らは車の移動が主である。実家の家の近くの公道に少し車が止められる場所があり、そこに止めてもらっていたのだが、ある日その場所の近くの家の住人に駐車禁止のコーンが立てられてしまった。別に法律的には駐車しても大丈夫な場所なのだが、その近くの家の住人が駐車場から車が出しづらいとか、そんな理由である。父が末期癌で自宅療養中であり、そんなに命が長くないことを伝え、自宅で看取るにあたって訪問診療の車を停めさせてもらえないかと直談判に行ったが、断られた。友人の看護師に言うと、よくあることなんだそう。その家の住人にとっては迷惑な車であったんだろうが、法律的には停めても大丈夫なところに勝手に赤いコーンを立てて、直談判に行っても断られたことに、きっと私は生涯にわたってその家にネガティブな感情を抱くであろう。

 

 一方、そこに車が止められなくなり、訪問入浴の車がどこに止めたらいいか困っていたら、近所の少し強面のおじさんが、「うちの駐車場に停めな。いつでも停めていいから。困ったときはお互い様だから。」と言って、彼の家の駐車場を開けてくれた。本当に嬉しかった。困っている時の人の温かさは身にしみる。彼の優しさは生涯忘れることはないと思う。本当にありがとうございます。

 

 無事に訪問入浴が入り、父が一週間ぶりにお風呂に入ることができた。これが良かった。本当に良かった。父がとても気持ちよさそうであった。この頃には父の血圧は上が70台であったが、もう入ってもらった。この翌日に父は亡くなるのだが、最後にお風呂に入れて本当に良かった。

 

訪問入浴は私も、日雇いの仕事で看護師として一ヶ月ほど勤務させていただいたことがある。訪問入浴は介護士二人と看護師一人でチームとなり、一日5−6件の患者さんの入浴を行う。お風呂大好き日本人に独特のビジネスであり、アメリカにはない。重たい風呂桶なども運ばなければならず、夏などは介護士さんは命からがらであろう。本当に大変な仕事だと思う。

 

 しかし、サービスを受けた患者家族としては、本当にありがたかった。

 昔、同じく病床にふせっていた叔母が、お風呂に入れてもらえるって、病気をすると何よりのご馳走なのよ。お風呂に入れるだけで元気になるの。と言っていた。

 昔、看護学生の時に担当した慢性期病棟に入院していた90歳のおばあちゃんも、お風呂に入れないというただ一点がストレスで血圧が上がっていた。試しにお風呂に入ってもらったら、翌日から血圧が安定してリハビリができるようになった。お風呂に入るって、日本人の体に染み付いている大切な文化なんだなーっと思った。

 

お風呂が好きだった父を、最後にお風呂に入れてあげることができた。訪問入浴のチームの皆さん。本当にありがとうございました。手配をしてくれたケアマネさんもありがとうございました。

この話は今回で最後です。

 

 8月末に、無事に合格通知が届きました。あまり期待はせずに待っていたけれど、やはり受かっていたのは嬉しい。

 

 誰かに言われたから、自分の意思で新しい知識を取り組んでいくことは楽しかった。

 専門学校では、レポートを書く機会はそこまでない。あとレポートなどに関してあまり厳しくない。あくまで専門学校であり、実践に重きを置いている。なので、辛い実習現場で叩き上げられた不屈の精神で、看護師になりたての時は大学卒業後の看護師よりも、『使える』と言われた。看護実習中に、たまたま同じ病棟で実習をしていた大学生に、「実習ってほんとたるいっすよね〜」と話しかけられて驚いた。我々専門学生は、看護実習は生死を彷徨うほど過酷なものであり、たるいっすよねーなんて、他学校の生徒に話しかける余裕などなかったからだ。

 

 看護師になり2、3年目の課題であった、一人の患者を取り上げる事例検討のレポートは散々たるもので、専門学校卒だからなー。っと、大卒と比べられて悔しい思いもした。まあ、今考えれば、当時書いていたレポートなんて読書感想文のようなものであったと思う。レポートを記載するルールも知らなかったし、参考文献などの重要性なども、ぜんぜん理解ができていなかった。酷評されて当たり前である。今ならわかる。 

 

さて、

 学士を取ったので、とりあえず学士証明書の英文を一通取得した。アメリカの職場に早速提出しようと思う。アメリカでいうところのBSN(Bachelor of Science in Nursing)が取れたので、これから転職をする際にも学位がないからなーっ、応募すらできないなーっということもなくなる。職の幅が広がるのは嬉しい。

 

 迷っている方がいたらぜひトライしてみてほしい。私は幼稚園生と小学生の子供がおり、仕事もフルタイムだったが、そこまで大変だ!!ってことにはならなかった。子供が寝た後に勉強したり、学校に行っている間にレポートを書いたり、なんとなかった。もしダメでも、学んだことは無駄にはならないし、武蔵野大学での費用は20万程度。たとえダメでも失神するような金額ではない。

 

 

 

 

受験の対策として私がやったこと

1、自分のレポートを何度も読み返す

2、自分で問題を考え、それに対して30分程度で小論文を書けるように練習する。

『なぜこのレポートを書こうと思ったのかの動機。』『参考、引用文献を記載する際のルール。』『レポート中に何度も使用した言葉、”心理・社会的サポート”の意味とは何か』など、受験をした先人たちのブログなどを参考にして問題を考えた。

 

 

さて受験当日の話。

 

 私は午後の受験だったので、実家を出発したのは10時頃。電車を3本乗り継いで、受験会場の一橋大学を目指した。受験番号が早い人が午前中になっている感じであったので、申し込み順に午前と午後の振り分けがされているのかな。その日の受験番号は500番台まであったので、こんなにも全国から私と似たような状況の人が、学位取得を目指して頑張っているんだな〜となんだか嬉しい気持ちになった。

 

 大学へは集合時間の30分前に到着。駅の目の前のローソンで購入したコーヒーと甘いパンで一息つく。受験会場の外に座れる場所があったので、そこで集合時間までの時間を潰した。

 

 集合時間になり、受験会場に入る。指定された席に着席し、鉛筆、消しゴム、時計を机の上に出して座る。会場に時計がないのはなんでなんだろう。アナログの時計なんて誤差が出てしまうので、試験監督が持っている時計と、私の持ってきた時計に誤差がないかは否めない。私はかなりギリギリまで書いていたので、数十秒の誤差で書ききれなくなる恐れがあるなと思った。時計を一つ置いてくれれば、その時計で統一できるのにな。と思った。あと、人が書いている音で自分が焦りそうだなと思い、耳栓をしてもいいか聞いてみたが、それはダメだと言われた。

 

 説明が終わったらいよいよ試験の開始。私の問題にはなんと3問の設問があった。先人のブログで、学習成果レポートの時点で合格点に達している場合は、そんなに難しいことを突っ込まれることもなく、簡単な質問が2問で終わると書いてあったのを思いだし、私のもらった3問の設問に焦る。そして設問が難しかった。というか、聞かれていることがいまいち理解ができず、どのように文書を組み立てればいいか、かなり焦った。

 

 さて、私の3問の問題

1、患者について具体的に記載する際の倫理的配慮と手続きとは

2、本学習成果レポートの目的、方法、結果、考察

3、私がレポート内で記載した、社会心理的サポート、患者のサポート、ピアサポートの活用、家族のサポートを踏まえ、より良い退院に向けたサポートの活用とは

 

1番目は簡単。個人が特定されない配慮。もしも一つの事例を解いていく場合は患者の同意が必要とか、そんなことを書いた気がする。聞かれている内容がはっきりしているので、答えやすかった。これはパパッと20分程度で描き終えた。

 

2番目は、おそらくレポートを短くまとめろってことかなと思い、学習成果レポートを1000字程度でまとめた。

 

3番目は、、、もうパニック。より良い退院に向けたサポートとは。そんなの残りの40分程度でまとめるなんてどうしたらいいんだ。これに関しては記憶がない。なんとか思いつく限り書いたけれど、小論文としては、最後まで書ききれなかったと思う。無理やり終わらせたように思う。私がパニックに陥っている間に、すでにレポートを書き終えた人もいた。それをみてさらに焦る。

 

先人のブログに、3問目が答えられず白紙で提出したが受かった。というのを思いだし、私も3問目は頓珍漢な答えになってしまったが、それでも先人のように受かるといいなと願った。

 

 何はともあれ、長い戦いが終わった。帰りの電車に揺られながら、放心状態ではあったが、もう自分のレポートを読まなくていいことに安堵し、とりあえず終わったことに乾杯しよう。落ちていたらまた、受ければいいだけなんだから。