皆さん、おかえりなさい。

友達に勧められてNetflixの無料期間を

楽しんでいる毎日です。

そんな中友達が

特に推していたのが

「ルポールのドラァグレース」

アメリカのドラァグクイーン達が

NO.1を目指すレース番組。

美しいドラァグクイーン達と

彼女達の辛い過去を垣間見れる番組です。

番組の中で彼女達は

虐待された事や

過食、拒食、レイプ、鬱

色んな事を仲間達に打ち明けていきます。

ただでさえ

人種差別、性的指向で

マイノリティの立場に立っている彼女達の

明るい笑顔に隠された辛い過去に

とても心が痛みますが

どうも心の奥底には響かない。

答えは簡単。

私は虐待も過食も拒食もレイプの経験も

何一つ無いから

真に心から共感出来ないのです。

親に愛されて友達に恵まれて

誰かを好きになって

それを非難された事も無い。

彼女達が涙ながらに語っても

もらい泣きはしても

自分が何故涙を流しているかは

全く分からない。

それでも唯一心が傷んだ理由が分かった物が

案の定家族に関する物だった。

「親に認められない」

「家族と絶縁した、連絡も取っていない」

改めて私は家族物に弱いと思ったけれど

それ以上に

私は多分家族からの愛情を

未だに信じきれていない部分も

あるのだと思った。

愛されていると頭では分かっていても

心が納得出来ていない。

分厚い私の幼少期のアルバムや

今もおしゃれする度に向けられる

親からのカメラのレンズも

誕生日のケーキもプレゼントも

用意された好物も

全部信じられていないのだと思う。

それは私が愛されていないと

思い込んでいた時間が

愛されていると分かった期間より

ずっと長いからだと思う。

私は元々愛されたいという欲求が

人よりずっと大きい。

だから弟が生まれたのは

私にはかなりショックな出来事だったのだ。

ずっと親から向けられていた視線が

弟にも分け与えられるという

ごく当たり前の事が

4歳の私は受け止められなかったのだ。

だから私は弟が幼い頃に

親から褒められた記憶が無い。

いつも友達と喧嘩して怒られた事や

弟にちょっかいを出して怒られた記憶ばかり

いやに残っている。

そしてその頃、私はずっと思っていた。

私の本当のお父さんとお母さんは

きっと違う所にいて

いつか私を迎えに来てくれる。

本当のお父さんとお母さんは

私を怒ったりなんかしないで

ずっと抱きしめてだいすきと言ってくれる。

自分が転んで作った傷に

母が塗ってくれた薬と絆創膏を

付けて私は窓の外をずっと見ていた。

でも幻想の父と母は

いつまで経っても現れず

幻想よりも先に私が弟を溺愛する事になった。

多分それも私が両親にして欲しかった事を

弟にやって満足したかったのだと思う。

だから私はいつも弟を抱きしめていた。

弟ばかり抱っこされていたから

抱っこしてもらえない代わりに

弟を力いっぱい抱きしめていた。

成長して

中学生になっても

私は親からの愛を自覚出来なかった。

東大レベルの幼馴染達と

成績を比べられる事に

自分自身も比べて落ち込み

自虐する事に疲れてしまって

自覚は無かったが随分と荒れていたらしい。

私が親の愛をようやく自覚したのは

高校の頃だった。

何をしても褒められていたと

思い込んでいた弟のボロに

ようやく私も気付き

成績が平均点の私は

目に見えて褒められる様になった。

それと同時に

適度な放置を食らう様になった。

だが

ある意味この適度な放置のお陰で

私は親からの愛に気付いた。

頼めば渡される臨時のお小遣いや

用意されるプレゼントの有り難さに

喜びと感謝を思える事が出来た。

つまり、私は

親の愛を自覚出来て

まだ10年も経っていないのだ。

半分以上が愛されていないと

思い込んでいたのだ。

だから私が愛を受け止めきれるまで

まだ時間はかかるし

返せるのもまだまだ先になると思う。

とりあえずセンチメンタルな気持ちに

うっかりなってしまったので

とりあえず、文章にしてみた。