新しいことをしてみては挫折ばかりの日々 | ぐうたらママのだらだら投資日記

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ツィッターを始めたものの、「せっせとフォローして、相互フォローでフォロワーを増やし、発信したい情報を流す」という工程の部分で挫折。
 動画をアップしても、子供達が事前に言っていた通り、まったくアクセス伸びず。ツイッターでフォロワーが何人かできたけど、せっせとツイート流しても、まったく反応が無いんで、すぐにイヤになった。裁判関係のHPをいくつか知り、「気の毒だなあ」と熱くなって、助けになってやろうと時間と労力かけてコメントしたけど、反応が無いんで、その気の毒な人たちのことも、どおでもよくなった。というように、新しいことをしてみては挫折ばかりの日々だったけど。副産物として、物知りには、なった。
 わかってきたことは、ある年齢以上、多分、35歳くらいから上で、社会問題に関心ありげな人たちは、政治家も含めて、多分、30歳くらいまでに確定した自分の考え方を社会に伝播しようと、後の人生、ずっと努力しているだけだということだ。
 どうも、30歳以上になったら、自分の持ってる考え方のリストと情報を照らし合わせて分類するだけだから、脳味噌の必要はないってことらしい。私は違うけどね~~~。この一ヶ月間でさえ、私は、ずいぶん進化してる。
 若いときに左系だった人たちが、現在の左系の中心で当然60歳以上が左の中心の人たちなわけだけど。現在日本の旗を掲げてデモやってる右系の若い人たちも、やっぱり30年後に、まったく同じ事をやってて、今度は左系になった下の世代に敵視されているのかな。
 世代別に、縞模様になってるわけだ。地層みたいだな。ってか、そういうことに、脳味噌って必要なんだろうか。
 ニコ動とか、2chまとめサイトとか、太郎から話は聞いていたけど、自分でアクセスできるようになり、なるほど、世の中の人たちは、このように生きているのか、と物知りになった、という勉強もできたので、自分のやってたことは挫折しまくったけど、まあ、いいか、という感じだ。どっちしにろ、そう思うしかないけど。
 社会運動みたいなものは、買う?人自体に何の得もないことが始めからわかっているものを売る?という点で、究極のマーケティングなわけで、そこそこ、やり方を研究して、マーケティング手法の本でも売ろうかしら。でも、ものを売るのも、固定客をつかんで何十年も売り続けるつもりじゃなければ、勝負はモノ自体の価値じゃなく、見たときに買いたいと思うかどうかが勝負なわけで。手法の本を作るにしても、中身が充実しているから売れるわけじゃないんで、素晴らしい内容の本を作ること自体が無意味。すばらしい手法を書いた本を売るんじゃなく、その手法を駆使して、何か、全然素晴らしくもない割高なモノを売るのが利口なんだろうな。
 今回、いろいろと試した私が悟ったことは、「何かを伝播したい場合、対象は35歳未満に絞った方がいい」ということだ。買うカネのない人にマーケティングかけるのが無意味なのと同様、35を超えた人のほとんどは、社会的なつながりもなければ、つながる気もなく、共感したとしても、それを形や行動にする気がないので、数に入らないわ。
 じゃあ、時々、デモしている白髪頭の人たちは何か?って言うと、さんざん接触してわかったところによると、あれは「仲間でいられる場所」と「自分の人生に意味があるという幻想」のためにやってる。死ぬ時まで自分の幻想を壊さないように頑張らなければ、生きてきたよって充足が味わえない。身体がボロになってしまって、もう後死ぬだけで、人生取り返しがつかないのに、「自分って、なんだったんだ」とは思いたくないよね。
 売り物が「正義」ならば、売れる相手は35歳まで。
 人間が、次の世代を作って、死んでいかなければならない理由は、大半の人間の成長が、頭脳面でも行動面でも中年になる前に止まってしまうので、同じ人たちがずっと生きていると、人類自体が滅びてしまうからだと、思った。
 昨日の晩御飯は肉と油揚げと葱が入った卵とじそば。すっごい美味しかった。