2022年後半の事 | strikerぶたさんのブログ

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かなり久しぶりの投稿。

 

 

2022年8月だったか9月だったかのある朝
腰の激痛で目が覚めた。

今まで経験した痛みの中では
尿管結石に次ぐ痛みで、
布団の上でしばらくのたうち回った。

しばらくして酷い痛みがマシにはなったが、
相変わらず腰の痛みがあった。



数日経つと腰の痛みに加えて、
臀部(お尻)の部分と
左足の太股の裏からふくらはぎにかけて
痺れと痛みが出た。

痛みは日を追う毎に増していき、
足を引きずって歩いていた。


腰の激痛から10~14日経った後、
右足にも左足と同じ症状が出る様になった。
だんだん歩くのも困難になってきた。


10月になってたが、さすがにマズイなと思って近所の整形外科を受診した。
レントゲン検査をして、
別の大きい病院でMRI検査もした。

近所の整形外科での診断は「腰部脊柱管狭窄症」だった。
紹介状を書くので大きい病院(MRI検査をした所とは別の病院)に行って下さいとのこと。
症状が急激に悪化してるので、即入院・手術になる可能性があるって言われた。
予約も中々取れないので、
先生が直々に電話をしてねじ込んでくれた。


数日後、紹介された病院に行って色々検査して、
腰骨の3番と4番の間、4番と5番の間の2カ所が狭窄してると説明を受け、
10月11日入院、12日に手術と決まった。

入院初日にコルセットの型取りして(太ってるのでサイズが無かった)、
色々慌ただしかった。

この頃には歩くのもかなり困難を極めてたので、
車椅子に乗って看護士さんに移動をお願いする事になった。
かなり体重があるので心苦しく思ってた。


翌日、全身麻酔で手術を受けて、
麻酔から目が覚めるとスタッフの方に
何かおかしい所はありますか?と聞かれ
苦しかったので息苦しいと答えた。
深呼吸して下さいって言われて、深呼吸をした。

他にはありませんか?と聞かれ
結構寒かったしお腹がヤバそうだったので、
お腹が壊れそうと答えた。

時計があったので見るとかなりの時間が経過してた。

手術は2~3時間の見込みだったがそれをかなり過ぎた時間だった。


手術をした場所には管が取り付けられ、
数日は動けないので尿道にも管が付けられてた。

それらが取られるまでの3日位だったか、格闘だった。
トイレには行けないのでお腹がヤバイのにどうしたものかと。

看護士さんにお腹は大丈夫か聞かれたけど、
動けないので簡易便所?的な物でする以外無いって言われて絶望した。
そんなのにしたら大惨事になると思った。

3日間我慢を続けて、2つの管が取り外されると掴まり立ちで移動する器具を使ってトイレに直行した。
大惨事は避けられた。
よく頑張った俺って自分を褒めたかった。


1週間で退院見込みだったけど、
コルセットの到着が遅れてたので退院まで10日位になった。
その間に少しリハビリをしたりしたが、歩くには不安があった。
それを察してかどうかは分からないが、
転院して本格的にリハビリをしてはどうかと先生から提案があった。

病院のスタッフさん(コーディネーター)と転院先について話をして、
実家から車で15分位の所に決まった。

転院する日は介護タクシーで車椅子に乗ったままの移動になった。
距離がかなりあったので移動には1時間位かかった。


転院先に着くとまた色々と検査があった。
ここでも掴まり立ちで移動する器具を使わせてもらった。

リハビリはリハビリ室で器具を使いゆっくり歩く事からスタート。
休憩がてらストレッチをしたり、筋トレ(腹筋)もした。

2週間くらい?すると器具を使わずに歩ける様になってきて、
一人暮らしなので腰に負担がかかりにくい動作を聞きながら
皿洗いとか掃除機をかける練習もするようになった。

しばらくして室内で十分歩ける様になったので、
病院の敷地内ではあるが外を歩く事もする様になった。

転院先の先生から退院の許可が出たのは
転院先に入院してからおよそ1ヶ月後だった。

その間、規則正しい生活でカロリー計算された食事だった為か
どんどん痩せていったので、親は大喜びだった。
入院中に10kg以上痩せた。


独りだと何が一番困るかというと
入院時に保証人を求められる事。

配偶者も子供もいない身だとここら辺はかなり厳しい。
自分の場合、親が健在だったので何とかなったが、
身寄りが近くにいないと大変だと思う。
保証会社なる物が存在するが、
お金に余裕がないと難しいと思う。

あとは入院中の着替えとかも自分みたいにサイズが無いという場合は
自分で用意しないといけない。


退院した後に親から聞いたのだが、
最初にかかった近所の整形外科の先生は
腕前が良くかなり有名な先生だったらしい。
手術をした大きい病院は全国でもかなり上位の整形外科とも聞いた。

これはかなりラッキーだった。


最初に入院・手術をした病院には定期的に経過観察で通ってたが、
去年の秋にもう大丈夫ということで一旦終了となりました。