https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/ad/63/mononofu_hayate/folder/1427117/img_1427117_56522362_2?1220118980
満鉄刀
心鉄、皮鉄の張り合せ(モナカ構造)を科学的に造刀した近代刀。
百歩譲り、張り合わせのモナカ構造なら満鉄刀のように科学的に造刀しないと心鉄が乱れて駄目な刀になる。
張り合わせ(モナカ構造)で最も優れている日本刀
※研磨を重ねると心鉄が露出する








https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/ad/63/mononofu_hayate/folder/1427117/img_1427117_56522362_4?1220118980
素延べ合金軍刀
一枚鍛え古刀の粘り強さを科学的に再現し造刀した近代刀。
精錬された鋼は折り返し鍛錬をした鋼と同じなので鍛錬の必要はない。
(科学的に鍛えた=精錬)
最も優れている日本刀
※研磨を重ねても基本的に問題ない








https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/ad/63/mononofu_hayate/folder/1427117/img_1427117_56522362_0?1220118980
古刀
一枚鍛えの古刀は粘り強く実用性に優れ、美術性でも自然に地金の美しさが現れている。
一枚鍛えの近代刀の先祖といえる優れている日本刀
※張り合わせと練り合わせの強靱性の比較は先生のHP↓
http://www.k3.dion.ne.jp/~j-gunto/gunto_112.htm
※研磨を重ねても基本的に問題ない







https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/ad/63/mononofu_hayate/folder/1427117/img_1427117_56522362_3?1220118980
新刀、新々刀、戦後現代刀
玉鋼、折り返し鍛錬、心鉄、皮鉄構造の刀(モナカ構造)
成瀬氏や武道家の証言、各種検証により実用性に劣り、美術性のみを意識的に出している。
劣る日本刀
※美術刀剣界の日本刀定義を逆に言わせてもらうと果たして日本刀といえるのだろうか?
戦国時代に出現していたら実用性に劣るので衰退したと思われる。
※研磨を重ねると心鉄が露出する




古刀の造刀法も一枚鍛えである。同じく成瀬氏や武道家の方々の証言によると、美術刀剣界がいうところの玉鋼、折り返し鍛錬、心鉄、皮鉄の刀より実用性能は優れている。成瀬氏も戦場での経験で「古刀は砥ぎ減っても、かなり使える」と証言している。





「軍刀は和鉄を使っていないからダメ!」などと言う人がいるが、古刀も和鉄だけを使用していない。法隆寺の釘を調べると大陸からの鉄がかなり使用されてるらしい。新刀にも南蛮鉄や支那鉄が使われている

近代刀の意味を知るには新々刀→新刀→古刀→古代刀まで調べる必要がある。古刀は和鋼だけでない可能性もあり、造り方もハッキリしていない。古代刀にヒントがある。美術刀剣界は古代刀を考古学として外している。刀の材料はたたら製鉄と不可分である。たたら製鉄は大陸と朝鮮半島を見なければ分からない。刀の材料を知るには刀以外の鉄製品、特に鉄製仏像などの分析が大変重要。鉄の貿易も密接に関係する。多角的な考察が必要。
(先生の講義及び兄弟子の助言から)




「軍刀は伝統を継承していないからダメ!」などと言う人がいるが、何を持って伝統と言っているのか?と問いたい。近代刀が伝統継承していないと論ずるなら、新刀、新々刀、戦後現代刀も伝統継承していないのでありますし、古刀も古代刀を検証してみないと伝統継承しているか判らないのであります。

→伝統的日本刀とは何でしょうか
日本刀は三つの大きな変化と、小さな一つの変化があった。最初は古代刀から古刀への形の変化。
次は古刀から新刀の変化。応永・天文の頃、たたら製鉄がズクからケラ押しに転換した。戦国時代の刀の大量需要で作刀の効率を上げるために刀の材料と構造が大きく変わった。渡来鉄はいつも併用されていた。
三つ目は明治になって近代洋鋼と合金鋼が出現した。天文の頃の時代要請に似ている。刀に新しい性能が要求され、構造は古刀に戻り、作刀に機械化が導入された。近代版天文の改革と言える。
小さな変化は鋼が変化した新刀と新々刀の境目である。
どれも鋼材と作刀法の変化であって、日本刀の本質の変化ではない。手段はいつも変化してきた。
伝統的とは何を指すのか、どこの変化まで伝承と認めるかで難しい。勘違いしているのが折返し鍛錬である。これは一般精練技術であって、造刀技術に特定できない。従って日本刀の伝統項目に入れてきた従来の認識に無理があり、全ての誤解の基になった。
古代刀から現代刀まで、調整鋼を使った素延べ刀はどの時代にも存在する。
また、刀を造る手段(鋼材と作刀法)を伝統的技術とするなら、日本刀は大きく2回分断されたので伝統的技術の伝承は無いと言うことになる。この考えだと伝統の基準となる刀以外の刀は日本刀ではないというおかしなことになる。例えば新々刀を基準にすると古刀は日本刀ではないということになる。だから手段を伝統的技術と捉えるのには無理がある。
近代刀だけを伝統的技術でないという人は、日本刀の目的(本質)と、日本刀を造る手段(鋼材と作刀法)を完全に取り違えている人である。
(先生の講義及び兄弟子の助言から)


日本刀の製造の主たるもので最も大切な事は鍛錬であると云う。従って鍛錬刀でなければ日本刀に非ずと云う説が出るのも無理からぬところであるが、それでは鍛錬とは一体何をする事であろうかと云うと
 一、鋼中の鉱滓(こうさい)=鋼の屑ー を除去する事
 二、鋼の質を密にする事
が主なものであるが、今一つ大きな目的は含有瓦斯(元素)の除去にある。これは自分が気が付いた一大収穫だった。
(昭和17年11月1日中外新論社発行「日本刀及日本趣味」より)

↑解り易い例え話をすると、「正確で早い計算をするという目的」を実現する「手段」として昔はソロバンを使った。それがタイガー機械計算機になり、やがて電子計算機になった。
刀剣界は、ソロバンで得た答えのみが最高のもので、それ以外の手段で得た答えは邪道と言っている事と同じ事を刀で言っている。ソロバン以外の手段は認めないという事だ。手段であるソロバンがいつの間にか「目的」に置き換わっている(先生のHPから)
玉鋼について

※近代刀も古刀も玉鋼など使用していない。

※玉鋼という呼称は主に明治になって使われはじめた。




◆以下、玉鋼について先生のHP及び講義内容を簡単に述べてみました。
【日本刀の常識を問う】

①千種鋼(ちぐさこう)、出羽鋼(いずはこう)、印可鋼(いんがこう)が新刀に使用された。

②造鋼(つくりはがね)極上品、造鋼を取った余り物の頃鋼(ころはがね 別名、玉鋼)
 が新々刀に使用された。

③明治の中期、陸海軍工廠で二級品の頃鋼を土鍋(坩堝)に入れて改良し、それを玉鋼と呼ぶようになった。

◆① ② ③をまとめて『玉鋼』と呼ぶ方もいますので意味が複雑になったり、勘違いしている方々が増えたと思われます。

◆そもそも江戸末期に下級鋼材の呼称として玉鋼の言葉があったにせよ、本来は明治の軍の工廠で大砲や鉄砲などの弾を造る鋼材名が『玉鋼』であるようです。



軍刀(近代刀)と古刀は最高の日本刀である!






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◆先生の刀剣理論は非常に奥が深く、私はある種の哲学に近いものを感じます。


◆先生と出会うまでは各著名な美術刀剣界の先生が出版している入門書を参考にしていましたが、刀剣造刀法の長い歴史が江戸時代後期の造り方に過ぎなく、軍刀は粗悪というのも全く逆で新刀、新々刀、戦後現代刀こそ粗悪と私は感じます。現代の美術刀剣界が虚構に満ちていることに驚きました。
小学生時代の日教組教師の自虐史観教育の事実を知ったとき以上の驚きであります。


◆先生と出会うまでは軍刀保存の観点から、試斬をする武道家の方々を好ましく思っていませんでしたが、現在は近代刀(軍刀)を試刀し、近代刀が新刀、新々刀、戦後現代刀より優れていると立証してくださっているので、先生の刀身構造や鋼材と並んで最高の目利きと感じています。

https://blogs.yahoo.co.jp/OTHER-IMG/ybi/1/de/b7/chiru7777love7777/folder/669073/img_669073_17289067_5?1201396615.gif