今働いている会社の最終出勤日


全体への挨拶が終わり、夕方お菓子を持ってお世話になった人にひとりづつ挨拶。


お世話になった上司、先輩、後輩、それぞれにいっぱい伝えたいことがあるけど、伝えられない。


「伝えられない」それは仕方ないことかもしれない。


私たちは普段相手に、相手に対して思っていることのわずかしか伝わっていないのではないかと思う。それは伝えるという行為が、思っている気持ちよりも足りないからではないだろうか。

それがときには食い違いにつながる。


もう少し伝われば、個人も、組織もきっと大きなプラスになるだろう。


そんなことを考えながら

最後の見送り、やはり寂しかった。


人生におけるひとつの節目の日になると思う。

 今日は今の会社の実質の仕事収めの日だった。

あれこれやることはあったが、自分としては引き継ぐべきものは引き継げたと思う。


 残った人はやはり迷惑がかかるのはわかっているが、ここは次の場所で頑張るしか解決しようがないと思う。


 別件になるが、会社やめるにあたって、年配のひとから「これからはパソコンのことだれに聞けばいいんだ」と冗談交じりによく声をかけられる。

 そんなに難しいことを聞かれるわけではないのでよく対応していたのだが、本来の職務よりこちらのサービスの方がありがたかったようだ。どこかのサイトでみたが年配の方がパソコンがわからないストレスに名称がついていたような気がする。 なるほど、このようなサービスは非常にうけがいいのはわかる気がする。

気前のいいおじさんが多いので、転職しても有料サービスにしたら案外食っていけそうな気がする。

会社の中でも直接仕事をした人たちとの送別会があった。


いま帰ってきてブログを書いているが、すごい晴々しい気分だ。

もちろん、自分だけ別の会社にいいって仕事をすることは、現実的に考えると寂しい。


でも一緒に仕事した仲というのは自分でも言うのはなんだが、言葉に尽くせないものがある。

今日はもっと飲みたかったが、明日も私も含めて仕事なので、12時でお開きとなった。

そこはサラリーマンぽいが、生き方・考え方は異なっても一緒に仕事をするということは、すばらしいことだ。

その幸せを正直に受け止めたい。今日は。

最近はよくバスを使うようにしている。

やはり地下鉄のほうが時間も正確で便利ではあるが、バスには便利さとは違ったなにか人間じみたいいところがある。


バスに乗ってくる人は、子供とお年寄りが中心で、電車ではあまり見られない人と人が譲り合う光景がよくみられる。到着時間が正確に計算できないという状況のなかで、時間に余裕がある人が多く、その分心にゆとりがあるからだろうか。


バスは風景がとぎれない。大きな街では電車の駅が大きすぎて、街の中心部とその周りの繋がりをみることができない。新宿に向かうバスからは「ここにこんなところがあったんだ、こんなに人が集まっている場所があるんだ、この道はここに繋がっているんだ」と乗るたびに発見がある。もちろん毎日バスに乗っている人にとっては、当然のことかもしれないが。


便利さの裏側で失いつつあるものがバスの中には多く残っているのではないかと思う。

時間が余裕があるのであればバスにもっと乗ってみたいと思う。

同期との送別会があった。


最近は送別会続きだが、やはり同期との送別会は特別なものだと感じた。

そして同期のメンバーにきちんと退職を伝えたとき、自分の中で本当に今の会社をやめたんだと再認識した。


会社というものはいろいろな世代からなる縦社会の流れが組織を動きの中心となるが、これからは、横のメンバーで集まって飲んだり、話したりするだけでなく、いっしょにお金をかせげることも容易になっていくと思う。

それができるとすれば、飲んだり話したりするより、何十倍も楽しいだろう。


そういう瞬間は自分でつくっていかなければ。

最近転職間際ということもあり、会社の人と送別会の意味も含めてよく飲みに行く。


やはり、35歳以上となると、家庭もあり、子供もあり、家のローンもありと、背負うものも多く、挑戦より今の給料×年数+退職金の額を計算してしまうといという。

そういう背負うものがある人たちの言葉は説得力がある。


人はそれぞれの道があると思うが自分の進路には挑戦という道が常に続けばいいななんとなく思う。

それは安定を背負うことをもしかして逃げているもかも知れないと最近思うが、実際は逆で、今の時代において挑戦という道が安定を保つよりリスクが少ないのではないかと思っている。そう考える私は本当は安定を求めているのかもしれない。


実際のところどうかはわからないが、転職という「挑戦」という選択肢を選んだ以上はそれに向けて全力を尽くすだけである。とあらためて心に思う。

 


帰りが遅くなった。

彼女は私がその日遅くなるのを知っていたが、先に私の家に来て、待っていてくれているとのことだった。


家について、冷蔵庫をあけると見覚えのないプリンが二つ並んでいた。

たぶん私が帰ってきたら二人で一緒に食べようと彼女が買ってきたのだろう。


部屋に入ると、彼女は案の定寝たふり。

なんとなく気づかないふりをしてしまったがとても幸せを感じた。

こういう瞬間はとてもいい。

私は神戸が好き。


神戸の人は自分のことを神戸出身という。そういう街に誇りを持っているところが好き。


メインストリートとちょっとした路地の神戸の中華街も好き。迷子になりそうな横浜の中華街とはまた違う感じ。それは、ちょっと行けば足が届く距離に、カフェやケーキ屋や、トアウエストまで行けば居心地のいい場所がいっぱい。


大阪まではJRで20分だけど、その距離と文化の差は大きな違いがあると思う。


人と人との繋がる距離で街が繋がる街。


また神戸にいつか住んでみたいと思う。

夕方、渋谷からのさほど込んでない山手線に乗るとき、ふと自分が東京に住んでいることを感じる。

おそらく渋谷の人ごみを抜けて、電車という乗り物に乗った安心感によるギャップだろうか、ふと「ああ、今自分は東京に住んでいるんだなと。」

一人で電車に乗り、窓から外を覗くその時はいろいろなものを気づかせる瞬間。


東京という街に住むということは私にとっては挑戦、刺激、他にはなんだろうか、今は他には思いうかばない。そもそも街に理由を求めて移りすんでくる人は少ないと思うが。

今まで住んだ街の中では、京都・神戸はとても印象的な街だった、街自体が一つの文化を発信している日本でも数少ない街だと思う。街を吹く風の匂いさえも個性を感じる。


東京は今の私にはまだわからないし、むしろ街が大きすぎて一言ではいえないのだと思う。新宿・渋谷・丸の内・恵比寿・上野・・・・こう分けると急に個性がでてくる。

ただ漠然と東京に住むと仮置きする私自身に東京に対する憧れ、恐怖が強いものだと思う。

沖縄からすれば、東京も大阪も福岡も北海道も「内地」の一言で表現できるのだが・・・・



先日交流会に行ってきた。


やはり名刺交換がメインなのだが、ある程度目的を持っていないとただの名詞集めになってしまう。

自分のように会社をつくってみたいだけの気持ちしかもっていない場合も含めて。

でも今の今の時点でお互いにまったく関係がない人と短時間で自己紹介をしあうのはいい勉強になっているのもしれない。


自分がホントにやりたいことをみつけるために、事業計画書でも数を書いてみようかな。