年末、さかぐち家が一族郎党で箱根に行きました。
ホテルでチェックインしていると、ゲームの貸し出しがされていました。
人狼ゲームがあったので、さっそくレンタルします。
……ガン牌(目印)がありますが、このカードは排除しましょう。
人狼ゲームは、村人の中に紛れ込んだ人狼(鬼)が誰かを言い当てるゲームです。
村人は村人同士で、人狼が誰かを投票します。
投票された人は首を吊られて処刑されてしまいます。
処刑された人が人狼だったら、村は平和を取り戻し、村人の勝ちです。
無実の村人が処刑されたら、人狼は夜、オオカミになって犠牲者を一人襲います。
犠牲者が出た、ということで、また誰かを処刑する必要があります。
徐々に村人が減っていき、
村が全滅するか、人狼が処刑されるかまで、繰り返し犯人捜しゲームは続きます。
同じ村の人を易々と処刑するなよ、処刑しないで一晩だけ監禁すればいいじゃん、
とか色々とゲームシステムに突っ込みどころがありますが、
誰かを疑ったり、自分が人狼だと疑われたり、人狼はスリリングで面白いゲームです。
人狼ゲームで、霊視をしてみました。
隣で義理の兄(姉の旦那さん)が怖がっています。
底冷えするような恐怖です。
色に例えると、青白い氷の中にいるような感じです。
私は、義兄さんを人狼だと決めつけていました。
義兄さんは「自分が占い師だ」と嘘をつきました。
ゲーム内の占い師は、占った相手を人狼かどうか分かる役です。
ですので、占い師は人狼にとって危険な存在なので、まっさきに殺される可能性があります。
占い師は自分が占い師であることを、なるべく隠すことが戦術の一つとなります。
私の兄は「義兄さんは、占い師のフリをしている人狼だ」と指摘しました。
自分から明かすことはない、とのことです。
これが決め手となり、義兄さんはただの村人であったにもかかわらず、処刑されてしまいました。
ワンゲーム終了後に、人狼が私の兄だと分かりました。
兄を霊視すると、黒い恐怖を抱えています。
人狼である兄は、誰かが話をするたびにギクッとしていました。
恐怖の色は黒です。
「悪いことがバレたら、どうしよう?」という感じです。
同じ恐怖でも、色で恐怖の性質が違うようです。
後で青い恐怖に包まれた義兄さんの、当時の心を読むと、
「もう俺が人狼で良いから、早く抜けたい」
という感じのことを考えておられました。
2回目が始まります。
義兄さんが本当は占い師で、
私の兄が、またも人狼でした。
私なりにガン牌(目印)がありますから、
2回目は、目印通りに、理由をつけるところです。
義兄さんは占い師ですから、まっさきに人狼に狙われてしまいます。
義兄さんは青白い恐怖を抱えています。
何も悪いことをしていないのに、ご自分を責めるご性格でした。
人狼である兄は、持ち前の直感で「義兄さんが占い師だ」と推測しました。
そこで、私は兄の発言を見逃しませんでした。
「兄は義兄さんを占い師だと断言した。
占い師は、人狼にとって危険な存在。でも、村人たちにとっては大切な存在。
占い師の死は村人にとって不利であり、占い師が誰か分からないように黙っているべきだ。 もし兄が村人であるならば、占い師を見つけ出して公言することは、不自然だ。
だから、私は兄が人狼だと思う」
と、それらしい理由をつけて、私の兄を処刑しました。
3回目はありませんでした。
「怖い」
「攻略方法が分からない」
「家族同士でやったら、仲が悪くなる」
と評判が悪くなったからです。
ですが、人狼ゲームの肝は、勝ち負けではありません。
問題は、ゲームを通して何を学んだか? です。
ゲームをやると、性格が出てきますね。
義兄さんには、「自分が犠牲になれば、トラブルは解決する」という思い込み、癖があるのです。
義兄さんは自分が村人なり占い師なり、人狼でないのなら、
自分にとって不利なことは話さないことです。
村人が一人でも死んでしまうと、村つまりチーム全体が不利になります。
自分が死なないことが、自分を守ることが、結局は、チームを守ることになるのです。
ゲームでやっている、ということは、
実社会でもやっている、ということになります。
ゲームで見つけた自分を現実世界でも活用していくことが大切です。
義兄さんは性格が優しすぎて、自分だけ損をしてしまう出来事に遭いやすい、と分かりますね。
ですが、永年身についた癖という物を解消するには、なかなか難しいです。
人によっては気づかないまま、死んでいく、なんていうことはよくあります。
このように人狼ゲームは、人狼探しの頭脳ゲームである以前に、
自分の生き方を見直すためのゲームだったのです。
「村人が弱すぎる」
と、兄に指摘されました。
村人は占い師のように能力を持たないからこそ、人狼に命を狙われません。
絶対に自分は村人であって、人狼ではないのですから、
たとえ、人狼であると疑いをかけられても、胸を張るべきです。
ブレずに、恐怖に振り回されない軸を持ち、自ら探偵役を買って出れば、
村人は、最弱にして最強の役職になるのです。
「人狼で勝利するコツが分からない」
とも言われました。
人狼は村人のフリをすれば良いのです。
「村のために頑張っているんだぞ」と堂々とアピールすることです。
村のために頑張りつつ、裏では占い師など強力な役職を始末していき、
村人同士をお互いに疑わせ、同士討ちさせることです。
「人狼なんて、性格の悪い人がやるゲームだ。サイコパスが有利」
とも言われました。
いいえ。人狼ゲームは善人こそやるべきです。
現実世界では、リアル人狼みたいな人がでてきますよね?
人狼ゲームは、そんなリアル人狼との対処法を教えてくれるのです。
対処法とは、人狼をやっつける作戦を考えることではありません。
恐怖や不安にかられて、余計なことをやって、自爆しないことです。
「ブレない自分」「揺さぶられない自分」を持ち続けることです。
反対に、人狼ゲームで、自分が人狼役をやることは、とても勉強になります。
「リアル人狼って、こういうやり方で、我々の軸を揺さぶりに掛かってくるんだ」
と、リアル人狼の考え方を追体験できます。
逆も真なりで、人狼の心理が分かれば、人狼が嫌がる行為もとれるようになります。
現実世界にもどれば、リアル人狼に対する対処法を深めることができるのです。
「家族と争うのは嫌だ」
と、姉が言いました。
いいえ、まず私たちは家庭内でリアル人狼をやっています。
家族だからこそ、やっておく必要があります。
家族の問題すら解決できずに、社会での問題は解決できません。
織田信長とか天下を取るような人は、弟と家督争いをしたり、
土岐一族といって織田家の本家、つまり親戚と戦争して自分を鍛えていったのです。
人狼を家族とやるのは、私は初めてでしたが、
なんだか新しい一面が見れて、経験になりました。
セッション「光との対話 1時間目」をすると、霊能力が発現される方がいらっしゃいます。
霊能力は、発現したてのとき、悪い映像が見える場合があります。
私も、なんだか怖い映像が見えていました。
でも、あまり気にしなくても大丈夫です。
私もおととしの夏に、自分自身の中にルシファーがいることが分かりました。
怖い霊的存在を見つけたら「要求は?」と話しかけてみることです。
何も応えません。
ルシファーは悪魔の王様ですが、光を司る天使でありました。
聖書はルシファーの打倒を目的にしていますが、
ルシファーとは、内側にある悪魔であると同時に、
自分の心の中にある光を当てる神様でもあります。
ルシファーと向き合うことは、自分の内側と向き合っている証拠でもあります。
神様が人間を導く存在であるとするなら、
ルシファーもまた人間を導く存在です。
わざと怖い顔をして、人間を追い立てているのです。
ルシファーは私たちに学びを与えようと、神様の代わりに悪役を買って出てくれているのです。
いえ、むしろ、ルシファーは神様のコスプレにすぎません。
火(カ)と水(ミ)は、エネルギー体にすぎず、
見えている人の状態に合わせて、分かりやすい外見を見せてくれているのです。
私たちは、人間関係の摩擦を通して、人間同士の絆や愛情を学び取ります。
ときには、ルシファーや人狼のような人も出てくることでしょう。
ですが、彼らも、私たちが見えていない場所でときには村人になったり、占い師になったりするのです。
全員全員が、ゲームごとに、人狼役や村人役をやっているのにすぎないのです。