誹謗中傷、人種差別、性差別、いじめ。
全ては言葉と思想によって作り上げられたものだ。暴力はその二次災害に過ぎない。
それに少しでも気がつけたら一次災害で防ぐべきなんだ。その災害が起こらないように努力するのも良いかもしれない。
僕は容姿が独特らしい。生まれた頃からこの顔や見た目だし自分では全くわからないけど。
それが原因で何度も何度もいじめを受けた。トラウマになっているのにあまり深く想い出すことができないのは、想い出さないようにストッパーがかかっているのだろう。
大人になった今でもいじめられたトラウマは消えない。
小学校6年生の頃、クラスで大きな声で僕の容姿を馬鹿にされたのがいじめの1番最初の記憶だ。
それでも小さい頃から感情を人前で隠すのだけは上手かった僕は苦笑いで涙を誤魔化した。
小学生の頃はあまりいじめられる事もなかった。だから免疫がそこまでなかった。
中学生になった瞬間に、僕は周りの席の人から容姿について馬鹿にされた。馬鹿にするように僕とコミュニケーションを取りに来る人たちが増えた。
僕が中学生で初めて属した集団は活発で陰湿だった。最初は軽い「いじり」であった記憶がある。時の流れと共に暴力が増えた。
僕の顔のパーツの中で最も特徴的な鼻を集中的に攻撃して遊んだり、蹴られたり殴られたりもした。
笑うしかなかった。そこにしか僕の居場所はなかったし、逃げ出す勇気ももちろんなかった。何より1人になるのが怖かった。
尖ったものを目の前で見せつけられた時もあったし、言う事聞かなかったらシャーペンで手を刺された事もあった。
「変わる努力をしたら良いのでは?」
と思うかもしれない。考えてみて欲しい。いつだって自分の人生の主人公は自分だ。
部外者、エキストラの意見に合わせて容姿を変えるのは屈辱でしかなかった。
それよりも、そんな事を考えられる余裕は当時なかった。
唯、僕はこの顔、容姿を持って生まれてきた。それだけなのに、それが理由でいじめられてしまうのだ。
「いじめ」はその人の自信も何もかもを奪う。何かを始めるのにも自信がないから行動し難くなる。周りの顔色ばかり気になって、あまり表にも出れなくなる。
僕は普通に生きているだけなのにいじめられる。何も悪い事をしてないのに。
結局、部活内でもいじめられていたので中2まではなんだかんだいじめられていたと思う。
中3になってやっと周りの環境が大きく変わり、いじめられなくなった。
仲の良い友達もたくさんできたし、その人達とは今でも関わりがある。でもその人達はほぼいじめられてる僕を見て笑っていた人達だ。僕は忘れない。
ドラマや映画のせいで世間の「いじめ」のイメージが異なったものになっている。
現実のいじめは、無視されて痣(あざ)の残らないくらいの暴力を振るってきて、言葉で最大の暴力を笑いながら放ってくる。それを見て聞いて、周りは笑う。陰湿なものだ。
机に落書きされたり、花を置かれたり、多いに暴力を振るったりする者は少ない。いじめてくる奴は大体小心者なのだ。
高校生になって自分への自信は何も残っちゃいなかった。
部活では頑張ってみようと声を張ってはみたけど、逆効果だった。また、容姿についてだいぶ言われた。どこに行っても顔について言われる事に気が付いた。
親に申し訳なかった。本当に悔しい気持ちしかなかった。誰にも言えなかった。
高校2年生になって色んな人から愛されるようになったのは僕が人間を作るようになったからだと思う。明るい人をできるだけ演じた。
だから、大学生になって僕は留学した時に驚いたのだ。周りの外国人は僕の容姿を次から次へと褒めてくれた。容姿について褒められるのは彼女以外に初めてだった。
僕の世界は何倍にも広がったし、泣きそうになった。「このまま生きても良いんだ」と知る事もできた。泣きそうになった。僕のいた世界はとても狭かったんだ。
今でも集団行動は怖くてできない。また、いじめられるのでないかと大人数での遊びに行くのは怖い。
集団では黙るようになってしまった。いじめへの恐怖と自身の欠如が混ざり合って、できるだけ黙るようになった。
何かのせいにしてるだけに側から見えるかもしれないが、そんなつもりはない。
いつだってトラウマと真剣に向き合ってるし、トラウマを乗り越えようと必死に努力はしてる。
ただ、今1度考え直して欲しい。
自分は人をいじめていないか(陰口も含めて)。いじめを見ないフリをしていないか。仲良くない人がいじめられてるからって放っといてないか。いじめられてる反応を見て笑ってないか。あの人は嫌われて同然と思ってないか。
一つでも当てはまるなら今日から変わって行こう。
もう被害者を出さない為に。
誰かが命を落とすその前に。
売れないブロガー

