僕は鬱みたいな所が昔からある。自意識過剰かもしれないけど、そうかもって自分でも思うけど。

考え事をすれば変な汗が背中に出てきて、気がつけばまぶたは痙攣していて、若白髪は毎年増えていって、最近はうんこしたら血が出てた。

まだまだ症状は沢山あるけど、精神科に行けば躁鬱か、自律神経失調症かどちらかの病名をつけてくれると思う。
でも僕は、その病名に頼りたくないという変なプライドを持っている。

僕はもし自分の身体にや心に起こった問題達に、鬱という名前をつけられてしまったら、その名前を使って全てに背を向けてしまいそうだからだ。

自分の性格からして、そうなり得ることは9割近い。

だから僕は精神科に行かない。

本当に辛い人は行った方が良いし、適切な治療を受けた方が絶対に良い。そんな事はわかっている。鬱の人を馬鹿にしてるわけじゃない。

ただ、僕はそういう決断をしただけ。それだけなんだ。

いつでも目の前は真っ暗で灯りが見えた事なんてない。僕の周りには花も咲いていない。

いつも目が覚めた時、後悔する。無意味に落ち込む。動けなくなる。

頑張ろうと思っても身体は動いちゃくれない。逃げだ言い訳だって言われた事も何度もあるけど、本当に身体が動こうとしないんだ。誰も信じちゃくれないけど。

「誰かに相談して」

なんて軽々しく言うが、誰かに話せる余裕なんてないんだ。重い悩みを誰かに相談した事は一度もない。
「こういう子がいるんだけど」とかそういう恋の相談は友達にするけど。

悩みを解決してくれるのは結局自分しかいないんだなって気がついたのは中学2年生の頃。
部活中に過呼吸になってスクールカウンセラーを紹介されたのがきっかけで心の教室に通うようになった。
その時のカウンセラーは「誰にも話さないから話してごらん」って言うから一通り概要だけその日は話した。

そしたら、次の日になると担任も母親も僕の状況を知っていてパニックになった。でも、「大人ってそういえばこんなもんだったよな」って思えて、なんか冷静にもなれた。

その後も友達に少し話してみたけど、心についた重りは軽くもならないし、余計重くなったから自分の悩みは自分が寄り添って解決するもんなんだって気がついた。

その頃から誰にも何も話していない。自分の悩みは自分で抱えて、友達の前ではできるだけ明るく、相手を笑かす事だけ考えて、罵倒(悪口)のようないじりも笑って受け流した。

友達の相談にもちゃんと乗って、周りの顔色も伺いながら人生をなんとなく上手くやってたつもりなんだけど、

大学2年生の頃、身体は言う事聞かなくなって友達の前でも暗い顔を見せてしまうようになって友達と会う回数を減らし、今では誰にも会っていない。

このままで良いとかは思ってないけど、友達に会わないから罵倒のようないじりとか、面と向かって言われる悪口とかがないおかげでメンタルも少しは回復しつつある。

ここまで話してみると「メンタル弱い」って思われるかもしれないけど、メンタルが強いと弱いの境界線って何なんだよ。誰が決めてんだよって思う。

結局みんな大衆が判断する基準に乗っかって、人を良い悪い、強い弱いで判断してるだけじゃないか。

僕はそこの基準で物事を決めるのがすごく嫌いで仕方がない。

でも、これが現実社会。受け入れてかなきゃならない。ここで頑張っていかなきゃならない。個性を出したら死ぬ社会で。

黙って従っていれば協調性があるって勘違いしてくれる世の中で。

話がだいぶズレたが、僕は今、正直週5くらいで「死にたい」と思ってる。

だから僕はこうやって構成も一貫性もない言葉達を文章にして、少しでも心を和らげている。

不定期にやりきれなくなった時に更新するブログにしようと思う。

見苦しいかもしれないけど、本心を吐き出せる場所をここだけでも作りたかった。

明日は心からお互い笑えるといいな。

おやすみ。


painted by me.