野村克也様 | ・。・。゜:・\(^-^ )ども♪ o(^-^)o ども~♪( ^-^)/・:゜。・。・

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野村克也様

 

偉大な方でした 正直 現役時代の頃は ぶらはまだ生まれる前が全盛期と聞いてますし

 

当時は 強肩強打の捕手と聞いていました 誰も盗塁できない 何を投げてもわかられて

 

打たれたとか 色んな逸話を聞いてます ボソボソささやき ボヤキ あの長嶋茂雄さんが

 

現役時代 野村氏とボソボソ漫才をやって ホームラン打ったとか 私生活ではかなり仲が良かったらしいです

 

初めて知った時は 南海で監督件捕手でした すでに全盛期の力は衰えていたけど

 

かなり優れた監督の様でした

 

あの ID野球の始まりは 1973年の日本シリーズではないかと思います

 

当時 巨人が 長嶋欠場 堀内不振 で 王を抑え込めば勝てると 思っていたのが

 

川上監督の方が上手だった って事です 王を確かに抑え込んだけど 伏兵=ピッチャーに

 

打たれまくった って事です 要は飛車をおとりにして なり歩を数コマ敵陣に入れたような

 

将棋をやったようなものでした 堀内は2塁打を打つわ ホームランを打つわ 他のピッチャーまでが

 

ホームランを打つって いう事態 川上監督の奇策 ”王をおとりにして目を向けさせれば油断する””王の陰に伏兵を潜ませれば倒せる

 

”と読んでいたのでしょう 結局は巨人の9連覇となったけど

 

あの日本シリーズは まるで頭脳戦だったように今は思えます 

 

これが 野村監督が名将になるきっかけじゃないかな、、、以後確かに伏兵の活用法を心得てる感じがしたな~~

 

反面”あの奥さん”と”南海のドン 鶴岡親分”には足を引っ張られて 苦労なさったけど

 

これもまた 名将になるための試練だったのでしょう 名将になるためには

 

足を引っ張るものを打ち負かす必要がありますからね

 

数々の波乱を超えて 本物の名将となり 野球界に君臨した方です

 

最近調べたら 巨人に移籍する話があって 承諾迄いったけど 当時の長嶋監督が拒んだとか

 

いろいろな事があったんですね 現役の頃を知らないがゆえに わからないことが多いけど

 

人間味あふれた方ではないかと 笑える話だけど クレジットカードを持ち始めたばかりの頃

 

使い方がわからず 散財したとか キャッシュカードの暗証番号が理解できず カードを壊したとか

 

吹き出す話もあります でも ぶら自身 ”足を引っ張る者”に対する考えというものは 野村さんに学ぶものがあります

 

奥さんと南海のドン か 奥さんには愛情で示し ドンには冷徹にとことん向き合うかだったな~~

 

現役時代 ドンは”おれがいる限り あいつ(野村さん)は監督にしない”と言ったとか

 

結局は 両者がいたからこそ 今があるって事でしょうね

 

今頃 奥さんとドンと会って 毒説かましあってるかも 。。。

 

さてと ご冥福を祈ります