仏師 鈴木謙太郎 仏像彫刻と制作の日々

仏師 鈴木謙太郎 仏像彫刻と制作の日々

仏師・鈴木謙太郎による仏像彫刻の制作記録。
仏像制作の工程や工房の日常、教室活動などを発信しています。
木彫仏の魅力と、手仕事の世界をお届けします。







真光寺で開催中の作品展

千葉は集中豪雨となりましたが連日たくさんの方にご来場いただき本当にありがとうございます!


途中経過のご報告

用意していたおよそ200枚の

「オマモリマンシール」が、すでにほとんど無くなってしまいました……!

15日追加分を補充しております


会場に置いている感想ノートには、すでに丸2ページ分にのぼるたくさんのコメントがぎっしり。


みなさまからの温かいお言葉や応援のメッセージ、ひとつひとつ大切に読ませていただいています。本当に励みになります!

作品展はまだまだ続きます。


まだお越しでない方も、ぜひお気軽に遊びにいらしてくださいね。みなさまのご来場を心よりお待ちしております!


#真光寺 #作品展 #途中経過 #オマモリマンシール #感謝



【真光寺 作品展開催のお知らせ】
本日8月6日から9月2日まで、真光寺にて作品展を開催いたします。

会員の皆様が時間をかけて丁寧に作り上げた渾身の力作が厳かに並んでおります。

お寺ならではの心が洗われる静寂な空間の中で、一つ一つの作品が持つ温かみや個性をじっくりと味わっていただける、特別な展示となっております。

夏のひととき、日常の喧騒を離れて心がほっと落ち着く豊かな時間を過ごしに、ぜひお気軽にお立ち寄りください。

また、今回の作品展にお越しいただいた方には、

来場記念として「オマモリマンシール」を配布しております。ここでしか手に入らない特別なデザインで、お守り代わりにしていただける貴重なシールとなっております。

数量限定での配布となりますので、どうぞお早めにお越しください。

お寺への参拝とあわせて
夏の思い出作りにいかがでしょうか。皆様のご来山を、心よりお待ちしております。

#真光寺 #真光寺作品展 #オマモリマンシール #お寺巡り 


多聞天、増長天と続いてきた四天王の制作も、

いよいよ三尊目に入りました。
 

まだまだ荒彫りの段階ではありますが、木の中に眠っていた輪郭が少しずつ姿を現し、
これからどのような表情になっていくのか、

私自身も楽しみにしながら手を進めています。

 

梅雨の季節は、工房の空気がどこかしっとりと落ち着き、
木の香りがいつもより濃く感じられる時期でもあります。
雨音が屋根を叩くたびに、外の世界が少し遠のいていくようで、
その静けさの中で刃を入れていると、木と向き合う時間がより深くなる気がします。

 

荒彫りは、仏像制作の中でも特に“勢い”と“判断”が求められる工程です。
大まかな形を決めるこの段階で、仏さまの佇まいの方向性がほぼ決まっていきます。
一度削り落とした木は戻らないため、迷いすぎてもいけないし、
かといって急ぎすぎても大切な線を見落としてしまいます。
その緊張感と静けさが、荒彫りの魅力でもあります。

 

多聞天、増長天と並べてみると、三尊が少しずつ揃っていく喜びがあります。

丁寧にゆっくりと進めて参ります。

 

今週は、各地の教室が続く一週間でした。
水曜の真光寺教室は、台風の接近により休講といたしました。
教室を始めて16年になりますが、「休講」という判断をしたのは今回が初めてです。
生徒さんの身の安全が何より大切ですので、迷わず決断しました。

 

昨日の本光寺教室は、気候も穏やかで、落ち着いた一日でした。
本光寺教室は畳のお部屋で、基本は机と座布団の席になりますが、
腰に不安のある方のために、高い椅子と机の席もご用意しています。


数は限られていますが、電車でいう“優先席”のような感覚で、
生徒さん同士が自然に気遣い合い、譲り合ってくださいます。
その姿に、いつも温かさを感じています。

 

真光寺教室は、高い椅子と高い机のお部屋。
喜光院教室は和室ですが、こちらも椅子をご用意しています。
それぞれの教室に、それぞれの空気と良さがあり、穏やかに続いています。


また次回も、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

教室の生徒さんから「仕上げがきれいにできません」と相談を受けることがある。


その理由は、多くの場合「刀跡が残ってしまうから」というものだ。
しかし、刀跡が残ることは決して悪いことではない。
むしろ、仏像彫刻においては“美しさそのもの”だと思っている。

 

サンドペーパーで表面を均一に整えると、一見なめらかに見える。
だがその代わりに、木の繊維は壊れ、細かな傷が無数に入る。
木が本来持つ呼吸や温度が薄く覆われ、どこか“平坦な表情”になり角のシャープなラインも丸く整えられてしまう。


そもそも、仏像が生まれた時代にはサンドペーパーという道具は存在しない。
千年以上、仏師たちは刃物だけで仕上げてきた。

刃物で仕上げるということは、木の繊維を壊さずに整えるということだ。


刃物が通った軌跡は、木の繊維を切り、整え、
そのまま“木の声”として表面に現れる。
この刃跡こそが、仏像に命を宿す。

刀跡が残ると、光の入り方が変わる。
 

刃物の角度によって生まれる細かな面が光を受け、静かに返す。
その揺らぎが、仏像の表情に深みと気配を与える。
サンドペーパーでは決して生まれない陰影だ。


「刀跡は、あなたが木と向き合った証です」
それは未熟さではなく、
木と刃物と自分の呼吸が重なった“痕跡”であり、
その痕跡こそが作品を美しくする。

 

木の声を消さず、刃物の軌跡を隠さず、
そのままの姿で形を迎えること。
それが、仏像彫刻の懐の深さだと思っている。