一生を何に費やすかについて、一方は逃亡に、その代わりに相手は捜索に、とそれぞれが決めた話だと思う。

 

ところで、「逃げる」とは受け身か? と考えると、嫌な者や物から離れる、避けることこそが能動的だとも言えると思う。嫌なのにそこに留まることが受け身なのだとすると、逃亡は取るべき選択肢と言えるのではと思う。

 

通常、先を行く方が難しいはずである。後を追うのは、すでに先人が通っただろうことをなぞるのだから、検討もつけやすいと思われる。

 

つまり「逃亡」できること自体がすばらしい人生であった、と思える話だった。


手紙は文書であるが、詩は文学である。

よって、手紙は相手に伝えるために書くもので、詩は自分を表現するために書くものだと言えるのではと思う。


郵便物は相手に届かなければならないもので、かつ、その対象が手紙であれば、伝わるべき内容は相手によって変わるものではない。しかし、届ける物が詩である場合は、相手によって何を感じるか、どう受け取るかは自由なのではないかと思う。


詩を受け取って、その後いったいどうするのか。


お元気ですか、という手紙に返事を書くのとは違い、書いた人が空について何を思ったのかや、うさぎの足跡をどう見たのかが書いてある詩に対して、わからないと捨ててしまうのもいいのかもしれない。


または、そんなつもりで書いたわけではない詩を、お守りにして持ち歩くのもいいのだと思うし、別の誰かにあげてもいいのだろうとも思う。


つまり詩とは、文学とは、受け取った後が大事なのかもしれないと思った。


受け取ったのであれば、自分に活かせばいい、活かしてしまえばいいのではないかと思う。


とは言え、活かすにはどうしたらいいかと考えなければならない。

ならば、文学を読む意味とは、考えることができるようになること、考える力を身につけることだと言えるのではと思った。


実際に、あのとうだいもりは手紙をもらったことがないらしいと聞き、ガイトーは考えた。


手紙を送りたい、だが誰が書くのか?

自分が書こう、では何を書けばいいのか?

どんな人かをほとんど知らないとうだいもりのことを書くことはできないので、ならば自分が思うことを書こう。


と考えたことで、物語が動き、始まっており、つまり何かを動かすためには、まず自分が行動を起こすこと、自分の考えを表現することが必要なのだと思われる。


自分が行動するのに、また自分の考えを表現するのに、ひらがなしか書けないことは特に問題ではないはずである。


重要なのは動くことであり、動くか動かないかの違いに比べれば、「しらぬが花」と「言わぬが花」など同じ意味に思える。


そして、ガイトーの行動は確かに他人を動かしている。


ガイトーはトリノスに、とうだいもりへの手紙を届けてほしいとは言ったが、詩を書いてはどうかなどと言ってはいない。


しかしトリノスは詩を書き始めた。


このトリノスの変化は、まずは自分が行動したガイトーが起こしたものなのだろうと思う。


誰かを変えるには、または変えるつもりなどなくても相手のために何かをしたいと思うのであれば、その「してあげたい」という考えを押しつけるのではなく、あくまでも自分の考えを表現することが正しいのかもしれないと思った。


しかし、ガイトーに倣えば、自分の考えを表現するとは、「自分はこう思う」。だけである。


決して、「自分はこう思う、だからあなたはこうすればいい」などではないことがわかった。


つまり、この感想文も、これはあくまでも私の考えである。


決して、この文の最後に、「ぜひあなたも読んでみてください」などとは言ってはいけないのである。


この本は、ゆうびんやさんからのおくりもので、受け取れることがすばらしいことであった。

 

 

 

サンチアゴ老人は「負けた」か、と考えた場合、「大物を釣る」ことに対しては成功したし、「サメから逃げる」ことにも成功したはずである。ただ、大物カジキを完全な状態で持って帰ってくることができたかどうかについてだけが、「できなかった」ことだといえる。

 

だが、「釣れた」ことはカジキの残骸から村全員が知ったはずで、名誉は勝ち取れたし、嘘つき呼ばわりもされないだろうと思う。

 

 

では、なぜ釣ったカジキを無事に持って帰れなかったのかと考えると、準備不足だったからと言えると思うが、さらに、なぜ準備不足だったかと考えれば、「釣る」ことしか考えていなかったから、つまり「釣り上げる」ことが最終目的で、釣った後のことは考えられていなかったのが原因だと思う。

 

そのために、予想外の大きさのカジキが食い付いてしまったときに、持って帰れなさそうだから逃がそうなどとは考えなかったのだろうし、「釣れた」という幸運のあとに次々と不運がやってくる結果になってしまったのだと思う。

 

釣った魚を「持って帰る」ことが目的だったとすれば、帰り着くまでの不運も予想のうちだったはずで、サメが追いかけてくることは不運ではなく単なる経過だとしか感じなかったかもしれないと思う。

 

 

この老人と海との関係から考えられることは、自分が何をしたいと思っているのか、それが最終目的で間違ってないか、その後のことも考えておくべきではないか、と考えておくことが大事だということではないかと思う。

 

また、サンチアゴ老人がここにマノーリン少年がいてくれたらと頻繁に考えるように、何かを成すには一人では難しい、誰かと協力してやり遂げる必要がある、と考えるべきかもしれないとも思う。

 

 

 

 

相関とは「二つのものの間に関連があること。互いに影響し合うこと。(大辞林)」とあります。つまり、ビジネスには相関関係がある、と言えるでしょう。売る側だけ、買う側だけでは成り立ちません。


このような出だしで、「相関」と、さらに「分散」の意味も考えながら、ある講演のタイトルから考察できることを文章にする機会がありました。

まずは冒頭のように、「相関」の意味を辞書で調べ、続けてこの言葉とビジネスという社会の働きについて共通して言えることを、次のように考え、記載しました。


「需要曲線と供給曲線による、取引量と価格が均衡する点が適正な価格であると決まることからも、関連があること、互いに影響し合うことが重要になると分かります。」


このようなビジネスの一事例として挙げられる最近のできごとを探すと、2018年2月25日発行の日経ヴェリタスに、「スマホゲーム」についての記事がありました。「互いに影響し合う」とされる「相関」と似た、「相乗効果」についてが紹介されています。


「『人気キャラクターなどIP(知的財産)が企業の業績をけん引している』とあり、『スマホゲームを通じて消費者に浸透、関連サービスとの相乗効果が生まれている』と紹介されています。


スマホゲームを配信している企業では、『国内でファンが定着し、安定して課金収入が入ってくるのに加え、海外で新たなファンが増えている』という好循環を見込めることがあるようです。」


この事実を参考に、相関や分散について何が言えるのか、そこから今後にどう生かせるかを考えることで、次のような文章でまとめています。


「まずは国内で販売し、その楽しさをお客様に認めてもらう。その証拠として課金収入が増えたことを活用して、海外でも販売することで、さらに多くのお客様に届ける。この流れは、どちらかがおろそかになればもう片方も失敗につながりかねない関係、つまり『相関』の状態だと言えるのではと感じます。


逆に、『分散投資』のように、ある部分での損失やリスクを補うことを狙って、別の選択肢を用意しておくことも、よく行われる方法の一つだと言えるでしょう。この場合、ある部分の状態が悪くなった時に、別の部分も『つられて』悪くなることは避けるべきだとされています。


特に、ある部分が悪くなったとしても、別の部分でその悪い状態を補えると考えるからこそ成り立つ関係であり、その狙いが達成できなければ、行うべきではない方法でしょう。


しかし、相関関係が望めることに関しては、ある部分が良い状態になれば、別の部分も良くなると見込めます。その結果はより大きな成功として訪れる、大変『おいしい』方法です。


そのような状態を狙うには、考え、時には失敗もしたりしながら、行動し、振り返り、修正を重ねるなどの、多くの努力も必要になるはずです。相関関係をなくすために分散することよりも難しい場合が多いのだろうと考えられます。


ですが、ビジネスの場合、つまり相関関係が見込める場合。


欲しいと思っているお客様がいて、提供したいと思っている私たちがいる場合は、ぜひ相関関係を良い方向に進めることを狙い、多くの困りごとを解決できれば嬉しいことだと思われます。


場合によっては、例えば国内市場と海外市場で、損失を分散させることを狙うのがいいと判断されることもあるかもしれませんが、相関関係がより良くなりそうだと感じられた時には、そのタイミングを逃さずに行動できれば嬉しいことだと思えますね。」


つまり、より良い結果につなげられるビジネスを行うため、まずは、提供する商品やサービスは、社会の困りごとを解決できるものであること、その商品やサービスを必要としている人々がいるはずだと確信できることが必要だと考えられます。


さらに、その商品やサービスが受け入れられる過程において、失敗や損失がまったくないと考えることはできないでしょう。そのため、もし失敗した時は何をどうするか、どう修正すべきかなどを事前に考えておくこともまた、大事なことだと思われます。


その上で、商品やサービスを提供する私たちと、それを手にいれることで困りごとが解決したり楽しさを得られたりするお客様の双方が喜べる、「相関」の関係が作れるよう努力することが重要だと言えるのでは、と述べた次第です。


この記事には、「関連はあるべきか?それとも分散が適切か? その判断の違いとは?」と見出しをつけています。片方だけを選ぶべきだと断言できるほどではなく、状況によってどちらか、または両方を使い分けることが必要かと思われますが、ではいつどちらの方法を採用するかを適切に判断し、いずれその時の判断と採用が間違いではなかったとわかる将来が来ればと、常に気をつけて、理由を持って判断していきたいと振り返るきっかけとなる、言葉と新聞記事との組み合わせになりました。


ビジネスに予測はつきものです。数値や傾向などいろいろなデータから、常に将来を冷静に予測していくことが大切ですね。

 

ですが、予想が外れることもよくあることです。人気が出るはずと思ったが、あまり売れなかったとか、長く続けられる仕組みだと思ったが、思わぬ不便さが判明したとかの出来事も多いのではないでしょうか。

 

2016年10月23日発行の日経ヴェリタスでは、「郵政株 トンネルの先」という1面記事がありました。「郵政グループと主幹事証券会社が描いたシナリオは日銀のマイナス金利政策の導入でもろくも崩れた」と言わざるを得ない現状のようです。

 

 

確かに上場の当時は、「売り出し価格を低めに設定し、値崩れを防ぐ」ことができると、信頼できる分析から判断したのだろうと思われます。しかし、将来何が起きるか、例えばマイナス金利政策があるかどうかは、その時点で判断することは難しいでしょう。

 

郵政3社の場合、当初の予想は外れてしまいましたが、終わったわけではありません。特集でも、「3社がトンネルを抜け出すための条件を探った」結果も分析されています。

 

同様に、経営に関わる私たちにとって、きちんと予測したはずの将来でも、勘違いや、予想外の出来事の影響で、うまくいかないことがあるかもしれないと予想することもまた大事です。

 

ですが、たとえ予想外のことが起きても、再び予測し直し、また行動することで、うまく切り抜けられることもあるはずです。普段から、他の企業や他の分野など多くの事例を参考にしながら、いざという時に冷静に次の手を考えられるよう、予測しておきたいですね。

 

今日の視点

手堅い分析で将来の予測を

→ 予想外の影響があっても、さらに対策を

いざという時の対策のため、予想外の影響から抜け出した事例の研究を!