ギャオで無料放送しているアニメ「寄生獣」18話を見ました。心底、感動する話でした。18話(前半)は、アニメ「寄生獣」の重要な分岐点です。ある意味、最終回にしてもいいぐらいの名場面です。

そこで、18話(前半)を私なりに解説してみます。

18話は、田村と新一が相対するシーンから始まります。田村は、赤子をさらった探偵を殺し、探偵を殺した田村を刑事が追いかけています。そして、田村は新一と会います。(ここから、18話が始まる。)

田村は、新一にこんなことを言います。「人間について色々研究してみた。人間にとっての我々、我々にとっての人間とは一体何なのか。出た結論はこうだ。合わせて一つ。我々と人間は一つの家族。我々は人間の子供なのだ。……我々はか弱い。それ自体のみでは生きていけないただの生命体だ。だからあまりいじめるな。」

この言葉の意味を理解するのには、16話に田村が言った台詞を持ってくる必要があります。田村はこんなことを言っていました(記憶で書くので少し曖昧ですが)。「人間は、個としては弱い。だが、注意しなければならないのは、集合体になったときだ」と。

田村の言う人間とは、この集合体を指しています。家族であったり、社会であったり。そして、寄生獣はその一部(個)を頂かないと生きていけない存在なのです。寄生獣は、人間を食らうことへの罪悪感がありません。人間が動植物を食べている感覚とほぼ同じ、あるいは、赤子が母の乳を吸うのと同じように。

人間は、自然界の一部を食らって生きています。寄生獣は、集合体としての人間の一部を食らって生きています。田村は、これを比喩的に表現したのです。「我々は人間の子供なのだ。……我々はか弱い。それ自体のみでは生きていけないただの生命体だ」と。子供は母の乳(身体の一部)なしでは生きていけない。それ自体に罪悪感はないし、一人では生きていけない。それが寄生獣という生き物なのだ、と。

この会話を終えた後、田村は警察官に囲まれ、そして撃たれます。その際、田村は子供を身体でかばい、新一に子供を託します。「この子供、結局使わなかった。何の変哲もない人間の子供だ。人間の手で、普通に育ててやってくれ」と言い、息絶えます。

なぜ、田村は子供を喰えなかったのでしょうか。母心が芽生えたからと言えば、そうですが、なぜ芽生えたのか。

私はこのシーンを見て、ほぼ確信しました。寄生獣が生まれてきた意味を。寄生獣はなぜ生まれてきたのは、それは「淋しかった」からです。別言すると、家族を欲していたのです。だから、家族を喰えなかった。田村は、その答えに行きついたのです。だからこそ、「何の変哲もない人間の子供だ。人間の手で、普通に育ててやってくれ」の前にこう言います。「今日また、疑問の一つの答えが出た」と。

新一は、田村の死を目の当たりにして、赤子を泣くのを見て、家族を思い出します。そして、涙を流します。人間の心を取り戻しました。田村は、家族を持ち、家族を想うことで、人間の心を持ち始めました。つまり、寄生獣と人間の「差」は、家族を想う心が大きく関与していることを示唆しているのです。
そして、田村はとても安堵して顔をして最期を迎えます。家族を一時的でも持てたこと、生まれてきた意味の本懐を遂げたことから来ている表情なのでしょう。

寄生獣のエンディングですが、家の門を映すシーンが多くあります。家族の姿を表しているのだと私は思うのです。このエンディングは、寄生獣目線で描かれていると私は思います。寄生獣は思ったのです。「家族になりたい。」そして、寄生獣は生まれました。赤子として。人間(家族の一部)を食らい育つ家族の一員として。

さて、エンディングの最後は、新一が手を振り迎えるシーンでした。しかし、18話から変わります。新一が玄関から帰ってくるシーンになっているのです。これは、新一が人間の心を取り戻して帰って来たを意味していますが、寄生獣の目線からすると、家族になれたことを意味しています。

まだまだ語りたいことがある18話(前半)です。もうね、下手な映画10作品見るよりも価値のある10分です。

さてさて、名アニメの「寄生獣」、今後の展開が楽しみです。