みなさんこんにちは。
現在、NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』が放送されていますね。
本日も、
戦国武将黒田官兵衛(如水)についてお話したいと思います。
(以下wikipediaより引用)
あくまでも、1800年代に書かれた名将言行録からではありますが、
本能寺の変で織田信長が死去した際、
官兵衛は取り乱す秀吉に対して
「御運が開かれる機会が参りましたな」
と述べました。
以降、官兵衛の智謀を恐れるようになったという逸話があります。
同書には、秀吉が家臣に
「わしに代わって、次に天下を治めるのは誰だ」
と尋ねると、
家臣達は徳川家康の名前を挙げたのですが、
秀吉は黒田官兵衛を挙げ、
「官兵衛がその気になれば、わしが生きている間にも天下を取るだろう」
と言ったそうです。
側近が
「官兵衛殿は辺境の10万石程度の小大名に過ぎませんが」
と聞き返したところ、
秀吉は
「お前達は奴の本当の力量を分かっていない。
奴に100万石を与えたら途端に天下を奪ってしまう」
と言いました。
これを伝え聞いた官兵衛は、
「我家の禍なり」
と直ちに剃髪し如水と号したとしています。
また、
「秀吉、常に世に怖しきものは徳川と黒田なり。
然れども、徳川は温和なる人なり。
黒田の瘡天窓は何にとも心を許し難きものなりと言はれしとぞ」
とも書いています。
信長の死を『御運が開かれる機会』と言い、
チャンスととらえた官兵衛。
その言葉を直接聞いたからこそ、秀吉は恐怖を覚えたのではないでしょうか。