最後の本音です。
大会を通じて数多くの先生方と交流を取らせて頂きました。
以前、連載形式でも書きましたが私自身が空手を学ぶ生徒の親でした。
子供達が空手を始めてからジュニア空手の仕組みや大会に関する事、複雑な流派関係などなどを子供と一緒に勉強しはじめたのが約8年前でした。
良い事や理不尽な事情、様々な人間関係を体験して現在に至っています。
道場を出した経緯にしても一般例とはかけ離れたコースでした。
その決断を下したのは我が子供の親、生徒の親の立場で考え実行しました。
生徒の親の立場のキャリアを積んで行くうちにストレスを感じ始めそれはだんだん大きくなって行きました。
大変失礼な話しですがキャリア何十年も空手に携わる方々に物言いをつけたようなものでした。
ただその時点では自分の子供に対する期待、希望更には大会や昇級などの結果に即効性を求めるものでしかありませんでした。
今、コロナウィルスの影響でじっくり子供と歩んで来たこの7年間をゆっくり考えてみると反省する部分が多い事に今更ながら気づきました。
また、現在交流をさせて頂いている先生方に相談する事も多々ありました。
強い道場は指導者の毅然たる態度が繁栄をもたらしています。
今ふりかえる生徒の親時代の反省。
ここからは私が道場に通う生徒の保護者の立場でいた時の見苦しく、大勘違いをしていた頃の懺悔物語です。
保護者の立場の考え方、道場主としての考え方を本音で書いて行きます。
懺悔の馬鹿親時代
空手を始めて数ヶ月。内部交流戦などで子供が好成績を出すスタート。
ただただ勢いだけで数大会を勝ち続け小さなメダルに感動した親バカな大きな勘違いがおこります。
「うちの子は強いぞ!」
勘違いをしている自分。
始めて参加した選抜上級戦で大将は女子選手にふくろだたきにされてワンサイド負け。
まだ勘違い病からは抜けていません。
「何でまけたんだろう?おかしいなぁ」
そして次の試合もまた次の試合もワンサイド負け。出れば初戦敗退。
そのうちトーナメントが発表されると相手選手の事が気になって仕方ありません。
強い相手との対戦に試合前から負けていました。
闘うのは子供なのに自分の子供を勝たせたいだけのセコい考え。勝てそうな相手選手だと安心。
(最低!)
対面を気にして負けた時の言い訳を用意した事もあります。
(訳もなく闘う前から相手選手の強さを周りに言い回ったり。)
今考えると空手を始めさせる前の気持ち。
「強い子供に育てたい」
こんな初心を忘れて大会に行くと今だけ強い子供の姿を見たいだけの気持ちが優先していました。
そして大勘違いがはじまります。
指導方針への疑問。
もっとスパーリングをやらなければ無理だ。
もっと基礎体力をつけなければ。
基本を無視した超我流。今思うと本当に恥ずかしい限りです。
そして道場稽古が終わってから地区センターを借りての親子稽古を2時間。
(子供はたまったものではありません。)
後で書きますが実は後にこの稽古が生きてきました。
週7日の稽古の始まりです。
この時桃子が6歳、大将5歳でした。
今思うとよくついて来てくれたと思います。
子供の気持ちなど考えずただただ強くしたい。
(それもすぐに)
こうしていれば強くなる筈。
完全に自分に酔っていました。
当然子供と共有する時間を長く作らなければなりません。
またまた私はトンパチな行動に出ます。
職を子供に合わせた自営業を始めます。
(完全に目の見えない状態)
そんな生活パターンで一年が経過した頃、大将が初めて上級戦で3位入賞を果たし小さいながらも我が家に初トロフィーを持ってきました。
その夜は机に置いたトロフィーを眺めながらかなりの時間一人酒に浸っていました。
その時の酒が生涯一番美味しく感じました。
しかし、この入賞結果が親バカな私に火と油を同時にかける結果となりました。
その気になった私は師範にお願いして可能な限り出られる大会に出場させてもらいましたが中には流派間の大人の事情で出場出来ない大会が数多くありました。
この頃から大会に飢えていました。
何とか一つでも多くの大会に参加させたくてイライラしていました。
それから直ぐに同じ流派の道場に短期間移籍しましたが、訳あって元の道場に復帰しました。
空手を始めて移籍したのはこの時だけです。
連れション食らって移籍した事ではなく全て自分の意思で決めました。
この間の事情は以前詳しく書いているので割愛させて頂きます。
同じ流派ではありますがこの時が初めての道場移籍でした。
隣の庭はよく見えました。
そんな中、桃子、大将も小学生になったばかりの頃、興味本位でキックボクシングのジムへ二人を連れて見学に行きました。
ミットバシバシ、スパーリングガンガン。
更に指導者は若い元全日本チャンピオン。
血湧き肉躍る気分になりました。
早速空手の師範相談したところ、違う競技と言う拡大解釈をして頂き週に2回通う事になりました。
この頃が今の道場を始める前の1年間です。
この1年間は大会結果を見る限り桃子、大将共に成長を感じました。
この頃から二人共学校の七夕や将来の夢に空手のチャンピオンと書き1日4時間の稽古をしていました。
こんな事もありました。
友好関係の道場生がある大会の時に挨拶に来てくれました。
「試合は負けてしまいましたがこれから帰って稽古をするので先に失礼します。」
正直驚きました。
本題に戻ります。
次に私の勘違いが欲に変わり始めました。
どんな大会にも出たい!
それまで経験した流れから行くと大人の事情も含め、こればかりは自分で道場を興す以外に道はありません。
しかし道場を開いても受け入れてもらえる保証もありません。
その時はそんな事を考えていませんでした。
今考えるとやりたい放題でした。
組織と言うものに対する安易な考えでこと空手となるとフラストレーションの塊状態。
今、冷静に考えて見ると恥ずかしくなります。
自分の思うようにならないなら自分で始めて全ての責任は自分で取る。
そう決めたのがこの頃です。
組織にはその組織の決め事、法律があり従わなければ弾き飛ばされでも仕方ありません。
他の組織との比較をして反発していたその頃の自分に懺悔。
隣の畑の美しさを子供を巻き込んで観に行った自分に懺悔。
道場批判、指導批判の話に耳を傾けていた自分に懺悔。
親の気持ちとしてカッコ良くて強い我が子の姿を常に自慢したいのは当たり前の事。
今の時代、習い事の選択肢は限り無くありますが
器用貧乏になっては本末転倒です。
強くなり頂点を目指すのなら親子で腹を括って取り組んで下さい。
頂点に立つような選手は親子共々気の遠くなるような努力をしています。
大会などでそんな姿の親子を見るたびに絶大なエネルギーを貰った気分になります。
さて、この歳でどうやって道場を開くか?
ここまでは大勘違いの保護者時代の回想でした。
一度に書き切ろうと思ったのですが長くなったので続きは次回にします。
次回は道場を開き道場主となってからのぶつかった数々の出来事を本音でシビアに書きます。