完結編は生徒の親の立場と道場主の立場からのぶっちゃけ話しを書きます。

何故道場を立ち上げたか?は前項で書きました。

その中でも一番の要因は勝手な考えですがはっきり言って要望、不満。でした。

空手にはいろんな流派があり競技スタイルも異なります。
その違いすら解らずに子供さんを預ける親が大半だと思います。

       
        空手経験者の親の場合

        空手を深くは知らない親の場合

この二つのケースがほとんどです。

前者の場合はある程度親の求めているスタイルの道場を選びます。

後者の場合はある程度体験入門をして先生の対応や雰囲気の良い道場を選ぶ事が多いです。

しかしこれは東京などの大きな都市での話、地方では道場も少なく選択肢も狭められてしまいます。

習い事は空手に限らず夕方からの稽古がほとんどの為、行き返りの防犯面や通う距離、小さな子供の送り迎えなどの問題があります。

つまり都心部に居住している家庭の場合は選択肢も多く道場を移籍しやすいのが現状です。

そして入門。

前者の場合はある程度指導方針を呑み込んでとりあえずはスタートします。

後者の場合はなにもわからずにスタートします。

道場入門、これは様々な出会いがプラスになるべく場です。

しかし数ヶ月〜1年くらいするとこんな問題が起こります。

退会する生徒です。

ここで退会(空手を辞める又は移籍)する例を挙げてみます。

かなりリアルですが何処にでもあるぶっちゃけ話しです。

一、親友達同士で複数の友達の子供と入門 したが実力差が出てしまい親も子も折
れてしまい退会する例

二、親が子供に対する期待の加熱、それに 対する子供との温度差。

三、道場へ行くのを嫌がる子供の気持ちを 見抜けない親。(何故嫌なのか?嫌がる理由)

四、大会重視の道場の場合、結果が出ない事に親子共に折れてしまう。

五、体力は向上したが精神的な強さが付かない。と考えてしまう。

六、指導内容、又は指導者への不満。


などなど。


一、の場合は一般的によくある事です。こればかりはどうにも解決策がありません。
立ち向かう気持ちの問題です。

二、の場面は何処の道場でもある問題で、他道場の先生方との会話の中でも話題になります。
どうしても同期の生徒や同門の生徒との間に差がついてしまったと考えてしまい、それがだんだんと空回りし始めて自滅する例を何度も見て来ています。

小さな子供です。技術面や精神面で差が出て当然だと思います。

競うのはそこでは無く、差と感じた事に近づき追い越す努力です。
切磋琢磨する事を置き去りにしている代表的な例です。

三、の場合、親子さんは「空手は好きだと言ってるんですがなんで道場に来るとダメなんですかねぇ。」

これも良く聞く言葉です。
そんな時、私はハッキリ言います。

「空手が嫌いか、道場が嫌いか、私が嫌いかどれかだと思います。」

稽古が始まって中盤過ぎ、最後の方で泣くのであれば頑張った末の涙だと思いますが、道場に入る前からでは上記の3つのうちのどれかだと思います。

私の場合、必要以上になだめて引き入れる事はしません。

四、の場合、これも多々ある例です。
親も子も大会に参加して勝ち続けている時や入賞率の高い時に辞める人はまずいません。

スランプになった時、稽古に没頭するわけでも無く様々な理由を探し始めます。

勝てない時期があるのは当然です。

今まで負かして来た相手が必死になって頑張っているからです。

返り討ちの一度や二度、これが10回続いたとしても闘志を持って向かっている選手を多く見て来ています。

空手を始めさせた時の目標、気持ちは何処に行ってしまったのでしょうか?

仮に子供が折れそうになっていてもそれをサポートできる一番近い距離にいるのは親です。

子供が諦めても親は諦めない事がありますが、

親が諦めたら子供は諦めるしか無いのです。

五、の場合は組手で強くなれるか、礼儀正しくなれるかどうかと同じで道場に預けておけば全てクリアしてくれる。

そう考えて預けっぱなしのケースによく見られます。

学校に預けていれば頭が良くなる。
と言う考え方と同じになってしまいます。

桃子、大将を幼年期に育てて頂いた先生が毎日の様に言っていました。

「道場で返事ができない人は家でも返事が出来ていない人です。」

正にその通りだと思います。

道場はなんでもできるサイボーグを造る場ではありません。

家庭や幼稚園、保育園、学校生活の中で既に造られた短所を摘み取り長所を空手と言うカテゴリーの中に入れて伸ばす。
その上で結果として人格形成に役立つ。

勝っても負けても常に修正する能力を養う場です。

六、の場合は空手の経験や知識がほとんど無く子供と一緒に空手を始めた人に良くあるケースです。

空手に於ける子供の成長と共に親も空手を勉強し始めます。

やがて大会などに出場し、勝ち負けの感情を味わい、ルールを把握し、流派や大会の種類など子供の数倍の速さで知識を得ていきます。

更にキャリアを積むごとに審判の判定に疑問を持ったり、特に組手大会重視の家庭であれば勝つ為の稽古を強く求めて来ます。

この頃になると自分の頭の中で自分なりの稽古プログラムが構築されています。

そこで指導内容に少なからずの要望を抱くようになり、やがてもどかしさや不満に変化して行きます。

その中でも通常の道場稽古とは別に親子で時間を作り稽古をしている人はかなりいるのでは無いでしょうか。

なかなか結果が出ないともう大変!

「あんな稽古では勝てる訳がない!」
「もっとハードな稽古にして欲しい!」
「組手の時間が短すぎる!」

などなど不満はエスカレートして行きます。

既に入門時のおおらかな気持ちがなくなっています。

道場では各道場の先生の方針や目指すスタイル、生徒を育てる尺の違いがあります。

ある一部の駆け足に歩調を合わせる訳にはいかないのです。

生徒は先生や道場を選べますが先生は生徒を選べません。

自分のスタイルを理解して頂く努力しか無いのです。

やがて不満を抱き他の道場へ去って行きます。

これは仕方の無い事です。

ただ、その中でもポリシーを持って時間や生活パターンを犠牲にして毎日真剣に子供と二人三脚で歩んでいる例を多々見ています。

正に自分の道場を持っているのと同じで素晴らしい事だと思います。

反対に道場に対して愚痴や不満ばかりでとことん子供と向き合えないのであれば全ては押し付けでしかありません。

自分でやるのが一番です。

道場開設は私の取ったせめてもの抵抗でした。

不安は一杯ありましたが子供の為に腹を決めた!

この一言に尽きます。


「継続は力なり。」

と言う言葉がありますが、継続しているだけでは力にはなりません。

そのプロセスに努力や我慢が無くては。

前項で書きましたが、空手道場が数少ない地域に居住されている方々は、よほどの保護者の協力が無い限り理想の道場へ通わせる事は難しいと思います。

そんな環境の中で親子共々精神を鍛えて来た人に優る事は中々難しい事です。

組手がだめなら型へ、型がイヤになれば寸止めへ。
順番はどうあれ実際にこんな現状が大都市では起こっている今日この頃です。


                我慢と不満


我慢、は目標意識を持っている人が出来るもの。

不満、は目標意識が薄い人が抱くもの。


空手への挑戦は力尽きるまで続けて行きます。