2018年の幕開け初戦は1月3日の巌流島でした。

短期間ではありましたが田辺先生と集中稽古が出来ました。

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会場入りしてビックリしたのは選手に対する待遇でした。

子供ながらに個室の控え室が用意されていて全て係りの人が世話をして下さいました。

入場リハーサルやルールミーティングなどすべてがプロ並みでした。

試合は大将が全日本トップレベルのレジェンド和田君の胸を借りての闘いでした。

まさか空手以外の競技で挑戦させて頂くとは思ってもいませんでした。

空手をベースにした特殊なルールでした。

判定迄何とか持って行きましたが惨敗でした。
体幹の強さ、突きのスピード、重さをまざまざと見せつけられた試合でしたが、次に空手で対戦する時のいい勉強になりました。
今でも和田君のせり上がった見事な大胸筋が目に焼き付いています。

桃子は交流のある道場の選手との対戦でした。判定で勝ったものの苦戦を強いられた闘いでした。

この大舞台に立たせて頂くきっかけを作って頂いた野澤先生には感謝しております。

しかし、この大会へもℹ︎塾長が現われ無かったのが残念でなりませんでした。

1月の後半の事です。
某組織の東京大会がありました。
この大会には私の担当している選手クラスとℹ︎塾長の担当している初級クラスから総勢27名が参加する予定になっていました。

特に初級クラスはデビュー戦を迎える生徒も多く、日が近づく毎に稽古にも身が入ってきました。

ところがです。
初級クラスを引率すべきℹ︎塾長が後から他の予定を入れてしまい来れなくなってしまったのです。

もう冷めてしまいました。

大会が終わり、ミーティングを重ね改善する方向で合意したのですが、わずか1ヶ月もしないうちに突然、離脱しました。

本当は事の次第をもっと詳しく書いたのですが、初めて読む人には余りにもくだらない内容なのでどうでも良くなってきたので削除しました。

彼の今後の為にも。

一言、子供と向き合う姿勢の熱量の違いでした。
もっと腹を決めて取り組んで欲しかったです。


その結果、私が全てのクラスを受け持つ事になり道場立ち上げ当初の予定が思わぬ方向に向かい始めました。

3月には武将杯が控えています。

「雨降って地固まる」の如く初級クラスのメンバーともコミュニケーションを取りながら次の大会へ向けての稽古にはいりました。

2月に入ってからは武将杯の準備や大会当日のリハーサルをやり始めました。

そんなある日、桃子、大将がお世話になっていた(正確には今でもお世話になっています。)師範から連絡がありました。

会議の席である人物からクレームが来たとの事でその報告でした。

出ました!また、あの男の登場です。

その人物をX氏としましょう。
そうです。前に書いた私の事が嫌いな(多分?)あの人です。


何かの会議の議題で武将杯の事を話題に出したそうです。

武将杯のポスターを道場の近所のお店に貼った事に対する抗議なのか?愚痴なのか?なんだかわからない内容でした。

武将杯が開催される葛飾区内の空手に興味のある人に、一人でも多く見に来ていただき子供のフルコンタクト空手を広めて行きたい。
という事が目的でした。

近隣の他の道場の近くにも貼ったのですが、それとは逆に参加して頂いた団体が多く、クレーム等は一切ありませんでした。
そのポスターがこれです。
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嫌がらせだとの主張でした。

生徒募集でもなんでもありません。
このポスターのどこに嫌がらせのニュアンスがあるのでしょうか?

更に一年前の私のブログまで 引っ張り出して来て、

「この道場の近くに武将會支部を出す予定。」

との文脈を抜粋して、道場開設をさせないように師範に迫ったようでした。

自分がどのように道場を立ち上げたか?自分の胸に手を当てて考えて欲しいです。

武将會のN先生は当該地区居住であり当然の計画でありましたし、支部開設は今でも継続中で物件をさがしています。

同じ流派でもなく、内政干渉著しい話にあきれ返りました。

同じ気持ちで聞いていた方もいたそうです。

武将杯への大会参加要請も自粛となりました。

更に毎年夏にお世話になっている師範が開催している大会に恩返しの意味も含めて生徒を参加させる予定でしたが、師範の方から辞退するように言われたので生徒には申し訳ない気持ちが一杯で諦めてもらいました。

会議の中でX氏の発言は、私に対するバッシングがほとんどでかなり強い対決姿勢をアピールしていたようですが、本人からは直接何の連絡もありませんでした。

その道場の生徒の中には武将杯に参加する意思のあった生徒もいました。

結局、また間に入った師範には辛い思いをさせてしまいました。

全くくだらない馬鹿みたいな話で子供達の行き場を無くす事に腹わたが煮えくりかえりました。

前項で書きましたが、武将會の立ち上げは、吐いた唾を飲み込まず身を引き、新たなスタートを切って、今迄出来なかった各交流大会へのオープンな参加と自主大会を実現させたかっただけです。

人前では、人を巻き込み吠えるだけ吠えて格好を付けあとはやりっぱなし!

空手は黒帯かも知れませんが人間が白帯ではどうしようもありません。

噛み付くなら腹を据えて一人で直接かかって来い。の心境でした。

同じ流派に子供を預けている時は多少の事は我慢をして折れていましたが
流石に我慢の限界でした。

何に怯えているのかわかりませんが寂しい限りです。

前筆の師範を始め、この流派のほとんどの方には暖かく接して頂き今でも感謝しています。残念でなりません。

やがて初開催の武将杯は盛況に終わりました。

開催まで短い期間ではありましたが、武将會の生徒の外部団体での試合の活躍により友好団体も増え、皆様のご協力により成功を収めました。

また、同時に11月の武将杯秋の王者決定戦も発表する事が出来ました。

大きな組織の団体とは異なり、私のようなインディー団体ならではのオープントーナメントには共鳴して頂ける団体が多い事を信じています。

当然、現在に至ってはメジャー団体様にも参戦して頂き良好な関係を保っております。

組織としての決まり事なら仕方がありませんが、指導者の個人的感情で生徒の選択肢を狭くさせる事はあってはいけない事です。

ご安心下さい。もうこれ以上大きな事件はありません。

いや解りません。X氏の事です。この文章を読んで噛み付いて来るかも?

立ち上げ一年そこそこでいろんな事が起きました。

勝負が絡む世界です。当たり前なのかも知れませんが自分の感情だけで動いては必ずしもいい結果は出ません。

感情とポリシーは全く別物です。

今回の話しは当時の関係者を含めた数名の方からの話を織り交ぜた全て実話です。

世の中には色々な考え、感情を持ったひとがいるという事です。

次回は2018年、三兄弟の躍進について書きます。