御早う御座る。加藤清正である。
何時もの様に早朝に記す。
昨日夕方。我等が陣営より報あり、儂は織田信長様と共に三月で一度、名古屋おもてなし武将隊を離れるを決め申した。
己が内で気持ちは整えておった筈ではあるが、家臣の想いが伝わると心は痛む。
然れどもこれがこれよりの武将隊のためと考えて三月二七日をもって一端隊を離れ申す。
信長様の掲げられる御旗の下に戦働きをする中で、儂は己れが成すべき働きをずっと追い求めて参った。
嘗て、晩年に座右の銘と致した言葉が御座る。
「履道応乾」
自らは一歩身を退き、成すべき働きを成せば必ずや道はひらかれる。
戦国の世にも現世に在っても、その通りに戦して参り、ひらかれた道も御座る。
そして、現世で儂が出来る働きは一先ず此処まで。更なる高みを切り開く為に一旦武将隊からも身を退こうと思う。
再び現世に舞い戻った時には一層の戦振り成る様に。
これ迄我等を支えてくれた皆々には、ほんに感謝致す。
これからの武将隊の飛躍もどうか皆々の助力願いたい。
それに相応しき武将隊である様に儂も離れるまでは全力で成すべき働きを成して参る。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160205/01/busho-tai/ce/d8/j/o0720096013558658575.jpg?caw=800)
加藤清正
何時もの様に早朝に記す。
昨日夕方。我等が陣営より報あり、儂は織田信長様と共に三月で一度、名古屋おもてなし武将隊を離れるを決め申した。
己が内で気持ちは整えておった筈ではあるが、家臣の想いが伝わると心は痛む。
然れどもこれがこれよりの武将隊のためと考えて三月二七日をもって一端隊を離れ申す。
信長様の掲げられる御旗の下に戦働きをする中で、儂は己れが成すべき働きをずっと追い求めて参った。
嘗て、晩年に座右の銘と致した言葉が御座る。
「履道応乾」
自らは一歩身を退き、成すべき働きを成せば必ずや道はひらかれる。
戦国の世にも現世に在っても、その通りに戦して参り、ひらかれた道も御座る。
そして、現世で儂が出来る働きは一先ず此処まで。更なる高みを切り開く為に一旦武将隊からも身を退こうと思う。
再び現世に舞い戻った時には一層の戦振り成る様に。
これ迄我等を支えてくれた皆々には、ほんに感謝致す。
これからの武将隊の飛躍もどうか皆々の助力願いたい。
それに相応しき武将隊である様に儂も離れるまでは全力で成すべき働きを成して参る。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160205/01/busho-tai/ce/d8/j/o0720096013558658575.jpg?caw=800)
加藤清正