サルだぎゃ
「太閤秀吉がおもてなし武将隊JAPANではしゃぐ~覚醒篇~」第3回
此度は「わし、勧誘するの巻」
わしが家臣に勧誘したのは…ジャラリンっ
そう、井伊直政。おぬし、わしの家来にならんか?(やけにでかいのぅ…)
清正が永禄5年生まれで、直政は永禄4年生まれ、西暦でいうと、1561年でござる。他の徳川四天王である、本多忠勝や榊原康政は1540年代の生まれだで、わしらからしたら、若手の武将なんじゃな
小牧・長久手の戦いのときには、わしも武力・政治力ともに感服した。のちに兵部少輔(当時でいう、防衛副大臣じゃな)に任命するほどの出世を果たした。その後、小田原の役でも、その名を轟かせる
あの頃にもわしの家来にと誘ったが、現世に蘇った今、今一度っ!
…み、見下すでみゃあ!!!
いや、わかっとる、おぬしが徳川殿にしたっとるのはわかっとるけれども…
おぬし、わしのかかあもおぬしのことを気に入っとったでね、あのとき、わしが直々に茶をたてたったがねぇ~
ん?徳川殿一筋?
まっこと、忠義もんじゃわ
って、近いっ、怖いっ!わかった、わかったがねっ
徳川殿も、ええ家来をもったもんじゃな
ちなみに、直政といえば、他にも赤備え、彦根城、桜田門外の変で有名な井伊直弼っちゅう子孫が有名で人気やな。つまりはひこにゃんもこやつがおらねばなかったやもしれん、っちゅことだがね、だで、わしに版権よこしゃあ
戦国めぇ~言「捨てて苦しかるまじき敵と見ば、敵にてはあるまじと申すべし。井伊直政」