サルだぎゃ
すでに発売されておる東海ウォーカー
城下町歩きが楽しい! 絶景城桜、っちゅうことで、わしも、伊賀へ馳せ参じた
目指すは、伊賀上野城、いざ、いざぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
ところで、皆は、伊賀と言ったら、忍の印象が強かろう。そもそも、なぜ伊賀に忍が栄えたのか
いろいろ要因はあろうが、伊賀というのは四方を山に囲まれた地で、隠し国、といわれるほどでござった。そのため、集落が点在し、出稼ぎ労働者が多かった。それに、畿内の近郊であることから、有力な戦国大名が生まれず、その集落が力を持っていた。これは紀州でも言えることじゃな
これらによって、忍という危険かつ機密性の高い職業が定着した、というのがわしの説じゃ
そう、わしの説
安土・桃山時代には、信長様政権下、まず、織田信雄殿が平定。わしの時代になると、まず、賤ヶ岳七本槍で有名な、脇坂安治が治める。しっかし、すぐに摂津へ転勤になり、やってきたのが、筒井定次
筒井定次。地味な武将やと思うじゃろ?しっかし、わしが羽柴姓を与えたほどの男じゃ
おお、定次や、元気やったか!…って、いがグリオ殿やないかい!!!
大和の文化人武将、筒井順慶の義子である定次。定次の移封にはいろいろな説が唱えられておるが、わしとしては、徳川殿が、二度と伊賀越えができぬように、ということにしとこかや、きき
その後、徳川殿の時代に入り、藤堂高虎がやってくる。高虎といえば、わしの好きな武将11人(わし調べ)の中に入る、名将じゃ
あやつといえばこれじゃな
唐冠形兜(からかんなりかぶと)じゃ。わしが与えた兜だがねっ
その名の通り、唐の国の役人がかぶっておったもんを模した兜だぎゃ。特徴的な脇立は纓(えい)と呼ばれ、武士によって様々でござった。高虎よ、長すぎじゃ…
まぁ、わかったか?そう、わしが武将隊結成当時、被っておったのも唐冠形兜、っちゅうことじゃわぃ
と、伊賀に夢中になっておってまったわしじゃが、特集は桜。まだちぃとはやいが、皆も今年は、城で桜、楽しんでみてはいかがかのっ♪
戦国めぇ~言「武士たる者、七度主君を変えねば武士とは言えぬ。藤堂高虎」